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復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第4回 2017年1月16日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

先日1月11日に行なわれたドナルド・トランプ氏の大統領就任前の記者会見を、みなさんもご覧になって、いろんな思いを抱かれたことでしょう。

 

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トランプは、大統領選の際の選挙演説でも「メキシコをぶっ潰す!中国をぶっ潰す!日本をぶっ潰す!」と、メキシコ・中国・日本を「アメリカの敵」と名指ししましたし、21世紀の「悪の枢軸」だとしています。

 

また、私はトランプの支持者のTwitterを見ましたが、その人物は「メキシコをぶっ潰せ! 中国をぶっ潰せ! 日本をぶっ潰せ! トランプはアメリカを偉大にしてくれる!!」と書いていました。

 

メキシコと中国はともかくとしても、日本はアメリカの最大の同盟国。

エドワード・スノーデンの言葉を借りれば、「アメリカの言うことはほとんど何でも聞く信じられないほどアメリカに協力的な国」です。

日本を「アメリカの敵」とする理由は何一つなく、まったく道理のない話です。

しかし、トランプも彼の支持者も、日本を「アメリカの敵」と見做しています。

 

トランプの会見をテレビで見ながら、前回取り上げた父の著書、

『性の歪みに映るのもの』第2章「欠損のリアリティ」にあったことばを思い出しました。

 

“アメリカとはヨーロッパの澱である”

 

ここで一つ、気になる事があります。それは、トランプも支持者もロシアについては何も言っていないことです。

ロシアは日本と比較してはるかに反米の国です。(というか、前述したように、日本には反米の要素はまったくありません)「アメリカの敵国」なら、ロシアの名前が挙がってしかるべきです。しかし、トランプは、ロシアをヘイトの槍玉に挙げたことは一度もありません。その理由はただ一つ、ロシアが白人ヨーロッパの国だからです。

 

アメリカに敵対する要素のまったくない日本を「アメリカの敵」と憎悪の対象とし、現実にアメリカに敵対しているロシアは「友」とする。このことに白人至上主義以外の理由があるでしょうか。

ヨーロッパの澱であるアメリカにとって、中国・日本・メキシコは、白人種である自分たちを脅かす。彼がマイノリティや人種差別発言をするのも、そこに差別や疎外をつくり自分たちの制度と規範を保とうとしているのではないでしょうか?

 

父は、2004年に『いまさらブッシュ 石油の海で溺れて、喚いて』を書いています。

タイトルは、いまさらブッシュですが、いまこそ読むべきではないかと思わずにはいられません。

 

次週は、この一冊を因数分解してみます。

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第3回 2017年1月9日(月)

『性の歪みに映るもの 日本近代文学と身体の倒錯』の一節を読み合いました。

この一節に読むキーワードは、「近代化」「制度」「規範」でした。

A:
この一節、猛烈に深い! 何度も読み返してしまう一節だね。
「近代化」とは何だったんだろう? そんなことを改めて考えさせられる。

B:
新しい社会を作るためには制度が必要だけど、制度だけじゃ作れないんだと、岡庭昇氏は断言している。

A:
制度と規範の両方が近代化を進め、ふたつは二個一(ルビ:にこいち)ではなくて、実は、制度は規範が根底にあったからこそ成立した。制度より規範の方が上にある。近代化を考えるとは、規範を認識することなんだ。

B:
ふむふむ。たとえば「正常人」の視点も規範で、差別の根源だと岡庭氏は書いている。また、規範を描写している文学…… たとえば、広津柳浪の『変目伝(伝→旧漢字で)』、嘉村磯多の『崖の下』、野間宏の『崩解感覚』が登場するんだけれど、ああ、岡庭昇氏の読み込む力には、今さらながら唸ってしまう。

A:
「深刻小説は、規範としてのリアリティの確立とともにおわるが、たとえば江戸川乱歩から横溝正史にいたるエンターテイメントとして、欠損としての身体は、ひそかなリアリティの系譜をかたちづくる」とあったが、つまりは差別を媒介として規範が再生産されるということだろうか。 

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野野花
人を支配するには、制度だけでは不十分だと父は書いています。
「制度よりも大きな存在である規範」がなければ、新しい社会は生まれなかった。
それは、歴史をたどっても言えるし、これからの世の中にも言えること。

支配者とは「規範」を作り出す者のことではないでしょうか。

 

次回の編集会議は、1月16日予定です。どうぞお楽しみに。

第2回  2016年12月26日(月)

『性の歪みに映るもの 日本近代文学と身体の倒錯』を、読む。

 

こんにちは、岡庭野野花です。

先週からこのブログをスタートしましたが、初回の12月19日は、父・岡庭昇の誕生日でした。もしかしたら、何か意味のあるスタートではないかしらと、思っています。

 

私が父の本を読み返すように、父もまた、昔書いた本を手にすることがあるようです。先日手にしていたのは、『性の歪みに映るもの 日本近代文学と身体の倒錯』。

実はこの一冊、父の著作の中で一番好きな本です。

 

性的な倒錯と文学表現がどのようにからまりあっているのか?

また、それがどのように日本近代という権力的な制度の、反身体的な本質を反映しているのか? そんなことを綴っています。

 

ぜひ一緒に読んでください。

 

『性の歪みに映るもの 日本近代文学と身体の倒錯』

発行:青豹書房 発売:青雲社  ISBN 4-7952-8754-6

 

性の歪みに映るもの

 

野野花が付箋をつけた一節  

 

Ⅱ章の最後、p113〜

「欠損のリアリティ 日本的身体表現のねじれについて」の一節より。

 

p117〜

「文明開化」から「富国強兵」へ仮構された体系であるわが日本近代においては、さらにいまひとつの側面が、つまり規範———ことばによってなりたたしめられた規範———の論理が、抑圧の柱として考えられねばならない。

 

 むろん、なによりも明治国家が急いだのは、制度的な整備である。地租改正は、その暴力的な出発点にほかならない。文明開化も、富国強兵も、なによりもまず、制度の整備であろう。だが、奇妙ないいかただが、ついに日本の近代は、制度としては成立しえなかった。

 

 そこに、すでに二〇世紀にさしかかって近代を出発させた、わが国家の致命的な困苦と負性があった。形式的な制度だけでなく、制度をこえる制度が必要とされる。なぜなら、明治の現実は、すでに製序を不可能とするほどに、転形期の不気味なエネルギーを、ほんらい「下から」はらむものにほかならなかった。制度ではなく、制度をこえるものが必要とされるのは、要するに現実から制度がうみだされるという過程がないからである。

 

 転形期としての現実そのものを、上からおおい、一方的に整序づける現実規範が、国家にとって必要である。これは、制度によってはなしえない。制度より大きなもの、すなわち規範によってはじめて可能である。

 

 厳密にいえば、わが近代では、制度そのもののなりたちじだいが、規範をえてはじめて可能になったのではないか。古典的な自然制の頂点にたつ天皇制が、わが近代に不可欠なものとして再生され、いっぽう部落差別が強権によって再生・存続・拡大させられた必然性が、ここにある。

 

 身体へのアプローチは、それゆえ、われわれの近代史では、すぐれた規範との対決として、位置づけられねばならない。エンツェンスペルガーを直輸入してすますわけにはいかないのである。この分裂への、ひとつの視点としてわたしは、日本の近代文学における、身体の欠損のイメージをとらえかえす必要があるのではないかと思う。

 

抜粋がとても長くなってしまいましたが、略せる箇所がどこにもなくて……。

 

次回は1月9日。この文書を読み合います。

第1回 2016年12月19日(月)

こんにちは、岡庭野野花(おかにわ ののか)です。

いま、父・岡庭昇が書いた本を改めて読み返しています。

読みながら、心に響く文章や大切だなと思う一節に付箋を貼るのですが

ふと、付箋の箇所だけでも多くの人に伝えたいと願うようになりました。

なぜかというと、父の言論には、現在直面する問題の根本が力強く描かれ

思考を深めるきっかけがちりばめられていて……

もしかしたら今、岡庭昇が求められているのでは?と、感じたからです。

 

でも、父の文章って、難解で複雑、ちょっと面倒なところもあります。

なので、みなさんといっしょに読んでみてはどうかと思い至りました。

 

私が編集長になって、編集会議的に岡庭昇を因数分解いたします。

 

本題に入る前に、少しだけ私のことを記させていただきます。

岡庭 野野花

私は、父がマルクス主義だった影響でソビエト連邦に興味を持ち、2014年〜2015年にかけてロシア連邦の首都モスクワに留学していました。

父は12歳の時にカール・マルクスの「資本論」を読んで、マルクス主義経済を学ぶために経済学部に進学しました。父が青春を賭けたマルクス主義を知りたくて、マルクス主義の最初の後継国であるソビエト連邦に興味を持ったのです。

 

文学と絵画のジャンルでは、シュールリアリズムが好きです

小説家ではフランツ・カフカロートレアモンアンドレ・ブルトン、画家ではサルバドール・ダリです。日本の小説では埴谷雄高が好きです。特に「死霊」は、日本の文学史上最高の作品だと考えています。

映画では、ルキノ・ヴィスコンティウディ・アレンの作品をよく観ます。「地獄に落ちた勇者ども」、「ウディ・アレンの影と霧」がもっとも素晴らしいと思います

ナチス勃興の時代から、ナチスが隆盛を極めた時代の、ナチスの栄光と栄光ゆえの退廃(デカダンス)に興味があります。ナチスの栄光と退廃を描いた映画がありましたら、ぜひ教えてください。

ヨーロッパで迫害されていたユダヤ人の痛みに寄り添いたい、さらに、被差別部落について考えています

それでは、これからどうぞよろしくお願い申し上げます

次回は12月26日(月) 月曜日更新の予定です。

 

編集会議1219

 

プロフィール)

岡庭昇

おかにわ のぼる

1942年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、TBSに入社。ディレクターとしてテレビ番組の制作に携わりながら、評論家として活躍する。文芸評論からメディア批評まで幅広い分野で言論活動を展開。マスコミタブーに挑戦し、鎖国共同体としての日本の現状に対する批判を続けてきた。著書は、『メディアは踊る』『メディア支配を越えて』『幻に向かって人は立つ』など多数ある。
父は実業家で経済学博士の岡庭博。三光汽船の会長、大阪産業大学名誉教授を務めた。