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復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第8回 2017年2月20日

こんにちは、岡庭野野花です。

先週から取り上げている『亡国の予言』(1991年 徳間書店)ですが、どこを読んでも今の状況と似ていて、心底びっくりしています。

まずは、本書の目次の一部をご紹介します。

 

プロローグ―——われわれはモラトリアム・ジャップである

〝独裁者なき独裁国家(ソフト・ファシズム)〟ニッポン

ゆがんだ鏡———なぜアメリカを直視しえないか

〝腰抜け(エッグヘッド)〟ブッシュのせつない変身願望

卑怯であさましい〝モラトリアム・ジャップ〟たち

人権は国家が守ってくれるという倒錯した奴隷根性(マゾヒズム

情ない脱亜入欧———外は黄色いが中身は白い一億総バナナ

ジャパン・パッシングはやはり自分の手で行なうべき

鎖国幻想が試される―——外国人労働者・難民・在日

〝外国人と見たら不法と思え〟という行政体質

エピローグ−ふり向けば亡国等々

 

皆さんはどのタイトルにピンと来たでしょうか。このブログの編集スタッフ、Aさん、Bさん、いかがでしょうか。

A:

本当にびっくりです。刺激的なタイトルばかりで、一つひとつ読み解きたくなりますね。

野野花:

この本のキーワードとも言える〝モラトリアム・ジャップ〟とは、何を指すのでしょうか。一緒に考えませんか。

父は、12ページのプロローグでこのように書いています。

 

ここで、わたし固有のコトバづかいである〝鎖国〟と〝モラトリアム〟について簡単に説明しておく。

 日本は百二十年前に鎖国を解いた。アルバニアはいま、鎖国体制をやめようとしている。そういう意味では、日本の現在を「鎖国」と呼ぶのは奇妙に聞こえるかもしれない。

 これだけ大勢の日本人が外国旅行に出ているではないか、駐在員は世界中にいるじゃないか、日本製の商品は世界市場を制圧しているではないか、どこがいったい鎖国なのか、と。

 しかし、円を肥らせ、円を誇示する行為にすぎず、〝交わり〟はじつは存在しない。経済的にもいまやどの国からも非難されているように〝外へ〟の開放性とは逆に〝外から〟内の流れに対してはまったく閉ざされている。

 しかも、人と人との関係は、外と内ははじめから閉ざされている。そして、他者(他国)の立場に立ってみる想像力は、ますます失われつつある。この特有の独善的な一方的交流を、「鎖国」と呼ぶのである。いわば、鎖国モラトリアムである。

 モラトリアムということばが、一時流行した。大人になりたくない若者の〝猶予〟願望のことだが、この意味でいま、日本人はすべてモラトリアムに陥っている。

 

B:

なるほど〜。この文、とても理解しやすいです。

25年前から比べると国際化が進んだと思っている日本人も多いし、英会話スクールに行けば、英会話を求めている日本人であふれていて、ああ国際化に飢えているんだと思います。でも結局、ダイバーシティというかけ声のまんまで、25年前と何にも変わっていないのですね。

A:

トランプの移民政策に対して、シリコンバレーの企業は一斉に反対しています。シリコンバレーには、人種や宗教を超えて、ごく自然にいろいろな人がいるけれど、日本の企業から来た日本人は馴染んでいなくて、異様さを感じます。

以前、日本人のためのスタートアップピッチのビジネス交流会に参加した時のことですが……

完璧に英語を学んできましたよ、というような流暢な英語(?)で蕩々と自己紹介、続けてピッチをするんだけれど、その後に質疑応答や、ほかの登壇者とコミュニケーションせずにさっさと帰って行ったのが印象的でした。

B:

スタンフォード大学医学部に長年いた日本の研究者が、こんなことを話してました。

「日本人は自分の専門分野の世界の情報について調べもせず、無知のままやってくる。そして帰国すれば、スタンフォードにいたと錦の旗としている」って。

2015年には安倍首相もシリコンバレーを訪れて、

「制度だけをまねるのではなく、ヒトも、企業も、頭の先から足の先まで、シリコンバレーの文化を余すところなく吸収し、その色に染まりきってもらうのです。日本の素晴らしい技術を持ち、やる気に満ちあふれる優秀な人材に、思い切ってシリコンバレーに飛び込んでもらおう。日本の中堅・中小企業に、シリコンバレーの荒波に漕ぎ出してもらおう。私は、そんな思いで、シリコンバレーの皆さんとともに、新たに、『シリコンバレーと日本の架け橋プロジェクト』を立ち上げたいと思います」 

な〜んて発言をしましたね。

A:
シリコンバレーこそ移民の文化なのに、その本質を理解していない…… いや、理解する以前の問題で、本質を感じ取るチカラが備わってない。
今回みたいに、
「米政府の考え方を示したものでコメントする立場にない」という発言に繋がるんだと思う。
国際化と言いながら、25年前と国家体質は変わっていないのですね。
お父さんの表現、〝鎖国モラトリアム〟は、どんぴしゃり!

B:
それが幸か不幸か、25年の時を経て、トランプが大統領になった。
ノーテンキに飛んでいった安倍は、保護主義的な感性が一致して「ケミストリーが合う」とトランプに喜ばれて、19秒も握手し続けて、強固な日米の日米同盟をアピール。そして、胸をなで下ろす日本のメディア。
まあ、これが日本の生きかなと思えば仕方ないのかも。滑稽ですね。

野野花:
1991年に書かれたこの本には、「日本人は外国を旅行し、日本製品は世界を制圧している」とありましたが、
2017年現在、日本人は外国を旅行するだけの経済力をなくし(Twitterに、今の若者は外国に渡航するだけの旅費も持ってていない、というツィートがありました)、日本製品は日本人差別主義者が差別の対象としている韓国に市場を奪われつつあります。(日本にはあまり入ってきていないだけで、サムスンヒュンダイは世界を制圧しています)
1991年当時の内容と現在の日本を比較すると、日本がどれだけ貧しくなったかがよくわかります。
日出ずる国は、日没です。

20170220

次回は、

〝腰抜け(エッグヘッド)〟ブッシュのせつない変身願望

の章を読んでみたいと思います。

舞台は、25年前の湾岸戦争。ブッシュに金だけ出した日本について、父は詳しく書いています。

 

第7回 2017年2月13日

こんにちは、岡庭野野花です。

安倍首相とトランプ大統領の会談を受けて、1999年発行の『亡国の予言』(徳間書店)を読んでいます。

2月10日(日本時間では11日未明)に、安倍首相とトランプ大統領が初めて首脳会談を行いました。

互いに抱擁して、握手。そして仲良くゴルフに興じる蜜月ぶりをアピールしていました。

この2人のようすに、またこれを報道するテレビに大きな違和感を感じているのは、私だけではないと思います。

 

トランプは、イスラム圏7カ国からの米国入国を制限する大統領令を発令しました。ところが、米連邦控訴裁判所は、つまり日本でいう高等裁判所は、この大統領令の一時差し止めを認めたワシントン州連邦地裁の決定を支持する判断を(裁判官3人全員一致で!)示しました。

大統領令については、各国の首相らが非難しているし、アメリカ国内の企業からも反発や批判の声が相次いでいます。

しかし、日本企業トップの発言はというと ……

キャノンの田中副社長 「我々は予測不可能、何が起こるかわかりません」

三菱自動車工業の池屋副社長 「注意関心をもちたい」

経団連の榊原会長 「大袈裟にいうと、世界史的な大変動」

 

皆さんどこか評論家気取りではないでしょうか。

安倍首相に至っては、2016年度第3次補正予算案を審議する参院予算委員会で、

「米政府の考え方を示したものでコメントする立場にない。難民への対応は国際社会が連携していくべきだ」

つまりノーコメントです。

 

今回の首脳会談の記者会見でも、記者から質問にスルーしていました。

そして、日本のメディアは?

首脳会談の蜜月ぶりに胸をなでおろし、これまで否定的だったトランプの報道トーンが下がりつつあります。

滑稽としか言いようがありません。

 

父が1991年に出版した『亡国の予言』を読んでいますが、日本特有のアメリカ感は、25年前からまったく変わっていないと思えてきます。

「ゆがんだ鏡 —- なぜアメリカを直視しえないか」の章をひも解くと、ブッシュと大義なき湾岸戦争、それをメディアや文壇がどうとらえてきたのかを、父の視点で展開していて、とても興味深いのです。

出版から25年を経てもまったく色褪せない、父・岡庭昇が語る「在日日本人」、「外は黄色いが中身は白い一億総バナナ」を、皆さんにご紹介していきたいと思っています。

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第6回 2017年1月30日

こんにちは、岡庭野野花です。

このブログにお越しになってくださる皆さんに新しいお知らせがあります。

父の言葉を発信するTwitterツイッター「岡庭昇bot」を始めることになりました。このブログと併せてお読みいただけましたら幸いです。

twitter.com

さて、父が2004年に書いた『いまさらブッシュ 〜石油の海で溺れて、喚いて〜』(三五館)の続きです。

読めば読むほど、トランプの主張はまさにブッシュの時代に戻すことを示唆していると感じます。ただ、ブッシュの時代と異なるのは、今は石油中心、インダストリアル中心から、AI_IOTと情報中心の時代となっているということです。そして、アメリカにおける総生産の牽引をするシリコンバレーは、多国籍の移民により成立しています。

イノベーションは多様性の中に生み出されるといってもいいでしょう。

オバマも最後のスピーチで、「多様性の中にこそ未来がある」と語っていました。

『いまさらブッシュ』を読み終えた今、どうしてもこの一節を皆さんと共有したいです。

 

「それはそうとして、さてこの結果(ブッシュをどう思うかという、ばかばかしいとも思われるアンケートの結果)ブッシュ大統領がアメリカの恥だという当然の反応の代わりに、ムキになったアメリカ人大衆のブッシュ指示の心情を引き起こすといわれている」

 

「アメリカのこのような、他国から悪く言われる自国の指導者は、文句なく指示するという心理傾向は、その大いなる劣等感をこそ映し出しているのではないか」

 

「大雑把にいって、それは、南部の北部に対する心理としてあり(ハロウィンで仮装していた無抵抗の日本人を、それとわかっていて射殺した人種差別主義者を、土地の陪審員全員一致で無罪判決を出すような)アメリカのヨーロッパに対する根深い劣等感(食い詰めてヨーロッパを都落ちしてきたのが、アメリカ人の先祖であることは、隠しようもない)があるそういう根本的なものからきているが、第三世界に対するときは、これら劣等感に連続する差別しかないのだから始末が悪い」

 

果たして今後、トランプをアメリカ国民は文句なく指示する心理傾向に向いていくのでしょうか?

 

ブッシュの時代とは異なるこの時代に、トランプが放つ差別や疎外が今後どのように社会に影響していくのか……。

父の目で見て語ってもらいたいと思います。

第5回 2017年1月23日

こんにちは、岡庭野野花です。

いよいよ、ドナルド・トランプが大統領に就任しました。

私は、就任式典をテレビで見ながら、父が2004年に書いた『いまさらブッシュ 〜石油の海で溺れて、喚いて〜』(三五館)を読んでいました。

私が付箋を付けた箇所を抜粋してみます。

 

「極めて反知性的な情念に生きている多くのアメリカ人は、短期間とはいえ、ネオコンがつくり出す愚かなセンセーショナリズムにたやすく組織されてしまう。西洋の意志を聞くまでもなく勝手にアメリカが行動してよいという妄想に組織される可能性はある」

 

「白人キリスト教徒だけが人間だという十字軍的誇大妄想がある」

 

2004年当時、「9.11」はそもそもブッシュが分かっていてやらせたとの記述に、改めてハッとしました。

「9.11」をきっかけにイラク占領を進め、それが現在のISに繋がっているのです。

でも、今となっては、世界的に問題になっている難民やISの問題が、そもそもブッシュ政権にあったと語る人はあまりいないのではないでしょうか。

オバマ政権について振り返ると、国民の期待ほどではなかったものの、失業率を改善し、これまで誰も出来なかったいわゆる皆保険制度“オバマケア”を行いました。また、同性愛を取り巻く環境も改善しました。

また、ポティカルコレクトネスを整備し人種差別を抑えました。

(余談ですが、このポリティカルコレクトネス、日本でも整備されてほしいと願っています)

私は、これがオバマ大統領の成し遂げた最大の功績であると考えます。

人道主義的であるのと同時に、人種差別を抑えることは多人種国家であるアメリカ大統領の義務だからです。またこれが、多くの有色人種の高技能移民を引き寄せることにもなり、アメリカ経済の発展につながりました。

こうした情報を、私たちはどう読み取ればいいでしょうか。

父・岡庭昇はどう読み取るでしょうか。

結局、オバマが作ろうとした多様性とグローバリゼーションの中でアメリカ一部は発展しました。一方、忘れさられた人々も作り出したのも事実です。

それは、工業・石油で繁栄したアメリカの工業の成長を支えてきた白人達です。そして、トランプの言葉は、この忘れられた人々、「選ばれし白人キリスト教徒」の不満に突きささり、大統領ドナルド・トランプを産み出しました。

協調より孤立が選択され、憎悪と差別が放たれたと思うのは私だけでしょうか?

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第4回 2017年1月16日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

先日1月11日に行なわれたドナルド・トランプ氏の大統領就任前の記者会見を、みなさんもご覧になって、いろんな思いを抱かれたことでしょう。

 

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トランプは、大統領選の際の選挙演説でも「メキシコをぶっ潰す!中国をぶっ潰す!日本をぶっ潰す!」と、メキシコ・中国・日本を「アメリカの敵」と名指ししましたし、21世紀の「悪の枢軸」だとしています。

 

また、私はトランプの支持者のTwitterを見ましたが、その人物は「メキシコをぶっ潰せ! 中国をぶっ潰せ! 日本をぶっ潰せ! トランプはアメリカを偉大にしてくれる!!」と書いていました。

 

メキシコと中国はともかくとしても、日本はアメリカの最大の同盟国。

エドワード・スノーデンの言葉を借りれば、「アメリカの言うことはほとんど何でも聞く信じられないほどアメリカに協力的な国」です。

日本を「アメリカの敵」とする理由は何一つなく、まったく道理のない話です。

しかし、トランプも彼の支持者も、日本を「アメリカの敵」と見做しています。

 

トランプの会見をテレビで見ながら、前回取り上げた父の著書、

『性の歪みに映るのもの』第2章「欠損のリアリティ」にあったことばを思い出しました。

 

“アメリカとはヨーロッパの澱である”

 

ここで一つ、気になる事があります。それは、トランプも支持者もロシアについては何も言っていないことです。

ロシアは日本と比較してはるかに反米の国です。(というか、前述したように、日本には反米の要素はまったくありません)「アメリカの敵国」なら、ロシアの名前が挙がってしかるべきです。しかし、トランプは、ロシアをヘイトの槍玉に挙げたことは一度もありません。その理由はただ一つ、ロシアが白人ヨーロッパの国だからです。

 

アメリカに敵対する要素のまったくない日本を「アメリカの敵」と憎悪の対象とし、現実にアメリカに敵対しているロシアは「友」とする。このことに白人至上主義以外の理由があるでしょうか。

ヨーロッパの澱であるアメリカにとって、中国・日本・メキシコは、白人種である自分たちを脅かす。彼がマイノリティや人種差別発言をするのも、そこに差別や疎外をつくり自分たちの制度と規範を保とうとしているのではないでしょうか?

 

父は、2004年に『いまさらブッシュ 石油の海で溺れて、喚いて』を書いています。

タイトルは、いまさらブッシュですが、いまこそ読むべきではないかと思わずにはいられません。

 

次週は、この一冊を因数分解してみます。

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第3回 2017年1月9日(月)

『性の歪みに映るもの 日本近代文学と身体の倒錯』の一節を読み合いました。

この一節に読むキーワードは、「近代化」「制度」「規範」でした。

A:
この一節、猛烈に深い! 何度も読み返してしまう一節だね。
「近代化」とは何だったんだろう? そんなことを改めて考えさせられる。

B:
新しい社会を作るためには制度が必要だけど、制度だけじゃ作れないんだと、岡庭昇氏は断言している。

A:
制度と規範の両方が近代化を進め、ふたつは二個一(ルビ:にこいち)ではなくて、実は、制度は規範が根底にあったからこそ成立した。制度より規範の方が上にある。近代化を考えるとは、規範を認識することなんだ。

B:
ふむふむ。たとえば「正常人」の視点も規範で、差別の根源だと岡庭氏は書いている。また、規範を描写している文学…… たとえば、広津柳浪の『変目伝(伝→旧漢字で)』、嘉村磯多の『崖の下』、野間宏の『崩解感覚』が登場するんだけれど、ああ、岡庭昇氏の読み込む力には、今さらながら唸ってしまう。

A:
「深刻小説は、規範としてのリアリティの確立とともにおわるが、たとえば江戸川乱歩から横溝正史にいたるエンターテイメントとして、欠損としての身体は、ひそかなリアリティの系譜をかたちづくる」とあったが、つまりは差別を媒介として規範が再生産されるということだろうか。 

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野野花
人を支配するには、制度だけでは不十分だと父は書いています。
「制度よりも大きな存在である規範」がなければ、新しい社会は生まれなかった。
それは、歴史をたどっても言えるし、これからの世の中にも言えること。

支配者とは「規範」を作り出す者のことではないでしょうか。

 

次回の編集会議は、1月16日予定です。どうぞお楽しみに。

第2回  2016年12月26日(月)

『性の歪みに映るもの 日本近代文学と身体の倒錯』を、読む。

 

こんにちは、岡庭野野花です。

先週からこのブログをスタートしましたが、初回の12月19日は、父・岡庭昇の誕生日でした。もしかしたら、何か意味のあるスタートではないかしらと、思っています。

 

私が父の本を読み返すように、父もまた、昔書いた本を手にすることがあるようです。先日手にしていたのは、『性の歪みに映るもの 日本近代文学と身体の倒錯』。

実はこの一冊、父の著作の中で一番好きな本です。

 

性的な倒錯と文学表現がどのようにからまりあっているのか?

また、それがどのように日本近代という権力的な制度の、反身体的な本質を反映しているのか? そんなことを綴っています。

 

ぜひ一緒に読んでください。

 

『性の歪みに映るもの 日本近代文学と身体の倒錯』

発行:青豹書房 発売:青雲社  ISBN 4-7952-8754-6

 

性の歪みに映るもの

 

野野花が付箋をつけた一節  

 

Ⅱ章の最後、p113〜

「欠損のリアリティ 日本的身体表現のねじれについて」の一節より。

 

p117〜

「文明開化」から「富国強兵」へ仮構された体系であるわが日本近代においては、さらにいまひとつの側面が、つまり規範———ことばによってなりたたしめられた規範———の論理が、抑圧の柱として考えられねばならない。

 

 むろん、なによりも明治国家が急いだのは、制度的な整備である。地租改正は、その暴力的な出発点にほかならない。文明開化も、富国強兵も、なによりもまず、制度の整備であろう。だが、奇妙ないいかただが、ついに日本の近代は、制度としては成立しえなかった。

 

 そこに、すでに二〇世紀にさしかかって近代を出発させた、わが国家の致命的な困苦と負性があった。形式的な制度だけでなく、制度をこえる制度が必要とされる。なぜなら、明治の現実は、すでに製序を不可能とするほどに、転形期の不気味なエネルギーを、ほんらい「下から」はらむものにほかならなかった。制度ではなく、制度をこえるものが必要とされるのは、要するに現実から制度がうみだされるという過程がないからである。

 

 転形期としての現実そのものを、上からおおい、一方的に整序づける現実規範が、国家にとって必要である。これは、制度によってはなしえない。制度より大きなもの、すなわち規範によってはじめて可能である。

 

 厳密にいえば、わが近代では、制度そのもののなりたちじだいが、規範をえてはじめて可能になったのではないか。古典的な自然制の頂点にたつ天皇制が、わが近代に不可欠なものとして再生され、いっぽう部落差別が強権によって再生・存続・拡大させられた必然性が、ここにある。

 

 身体へのアプローチは、それゆえ、われわれの近代史では、すぐれた規範との対決として、位置づけられねばならない。エンツェンスペルガーを直輸入してすますわけにはいかないのである。この分裂への、ひとつの視点としてわたしは、日本の近代文学における、身体の欠損のイメージをとらえかえす必要があるのではないかと思う。

 

抜粋がとても長くなってしまいましたが、略せる箇所がどこにもなくて……。

 

次回は1月9日。この文書を読み合います。