復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第9回 2017年2月27日

こんにちは、岡庭野野花です。

湾岸戦争が始まった時、私はまだ小学生でした。

『亡国の予言』を読んで、湾岸戦争の全貌をあらためて思い出しています。

湾岸戦争とは、そもそも何だったのでしょうか。

 

ウィキペディアによると

 

1990年8月2日、イラク軍は隣国クウェートへの侵攻を開始し、8月8日にはクウェート併合を発表した。これに対し、諸外国は第2次世界大戦後初となる、一致結束した事態解決への努力を始めた。国際連合安全保障理事会イラクへの即時撤退を求めるとともに、11月29日に武力行使容認決議である決議678を米ソは一致して可決し、マルタ会談とともに当時の冷戦の終結を象徴した。翌年1月17日にアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領はアメリカ軍部隊をサウジアラビアへ展開し、同地域への自国軍派遣を他国へも呼びかけた。諸国政府はこれに応じ、いわゆる多国籍軍が構成された。(中略)

このクウェートの占領を続けるイラク軍を対象とする戦争は、多国籍軍による空爆から始まった。これに続き、2月23日から陸上部隊による進攻が始まった。多国籍軍はこれに圧倒的勝利をおさめ、クウェートを解放した。陸上戦開始から100時間後、多国籍軍は戦闘行動を停止し、停戦を宣言した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/湾岸戦争

 

野野花:               

この時の日本の動きも今一度、おさらいしたいと思います。

 

A:

当時の首相は、海部俊樹でした。多国籍軍に対する追加支援として、最終的には90億ドル(約1兆2000億円)を拠出すること、さらに難民移送のために自衛隊の輸送機を派遣する計画を進めました。その理由をみなさんは覚えているでしょうか? アメリカ国内では、「日本は今回の戦争に無関心だ」という批判があったんです。それで、日本の存在を主張しておかなければ世界で孤立するかもしれないと、心配になって打った計画です。

ブッシュ大統領は、海部首相に電話をかけ、日本の支援策に謝意を表し、アメリカにおける日本の株が、たちまち上昇したんです。

 

B:

日本では逆でしたね。テレビ朝日が行った世論調査では、追加援助を行うべきかどうかの問いに「ノー」の回答が37.2%と一番多く、追加援助を認める人は30%弱、24.9%が「仕方がない」と答えていたんです。

 

A:

でもね、私のまわりには、「戦場へ行くより、お金で済むならばその方がいいんじゃない?」って言う人もいましたね。

 

野野花:

p29からの「ゆがんだ鏡———なぜアメリカを直視しえないか」を読んで、当時を振り返ってみたいです。

 

「いろいろなことが分かってきた。湾岸戦争は、やはり歴史上もっとも大義なき戦争だった。イラククウェートを侵攻した当時、ヨルダンで難民キャンプの世話をした人が、やってられないよ、という調子でこんなふうに言ったらしい。〝ベンツでの乗りつけてきては、駐車場のスペース争いでケンカをしている。こんな難民って、見たことあるかい?〟

 これがクウェートの〝難民〟の実体だった。イラク撤退後のいま、荒れはてた自国に戻るのがいやで、多くのクェート人が、外国のホテル暮らしを楽しんでいる。後片づけがすんで、快適な暮らしが戻ってきたら、そのとき帰国しようというのだ。

 その〝後片づけ〟のために、アジアや中近東から来た外国人労働者が、黙々と働いている。

 もともと人口の三分の二におよぶ外国人労働者に汗を流させて、昼寝をしながら贅沢な消費生活を享受してきたのが、クウェート〝市民〟である。

 こんな連中のために、アメリカの若者が戦場に駆り出され、他の国の軍隊までつきあわされた。日本は大金を強奪され、十五万人のイラク民衆が殺されたのだ。何が〝大義〟なのか。国連は愚者の集団か?

 (中略)

帝国主義の本家・イギリスが勝手に線引きした国境の向こうから、努力なき贅沢三昧を見せつけられている、イラクの貧しい民衆の身にもなってみたまえ。

 (中略)

湾岸戦争の本質はあまりにもはっきりしている。二億五千万人の大国が、千七百万人のちっぽけな国を自分の都合のために叩き、敗走する軍や非戦闘員まで虐殺したとういうことだ。この戦争を始めなかったら、アメリカは確実に経済恐慌に落ち込んでいただろう。他国の軍隊まで動員して、軍産複合体のための有効需要を創出してやり、ライバルの日本からは大金を強奪し、もうひとつのライバル=ソ連に対しては、効果的にメンツをつぶした。」

 

A:

岡庭昇氏のこうした見解について、今改めて読んでとても感心します。

この続きに綴られている文章も興味深いです。

「戦争終了後、権力にふり回されっぱなしだったジャーナリズムが、やや落ち着きを取りもどしたこのところになって、パウエル統合参謀本部長やシュワルツコフ中東派遣司令官ら軍首脳は、じつは戦闘には反対だったのに、ブッシュ大統領だけがはやりにはやって、勝手に進攻を決めてしまったというのだ。」

 

B:

ではなぜ、ブッシュは戦争をしたのでしょうか。

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(次週につづく)