第10回 2017年3月6日
こんにちは、岡庭野野花です。
先週から湾岸戦争を振り返っていますが、
日本が多額の支援をしなければ、イラク民衆の命が戦火に消えることはなかったと思えてきます。
それにしてもブッシュはいったいなぜ湾岸戦争をしたのでしょうか。
A:
『亡国の予言』には、こんなくだりがありました。
「言いかえるなら、ブッシュはどうしても戦争をしたかったのだ。優柔不断な〝腰抜け(エッグヘッド)〟とみなされていたブッシュは、マッチョ・マンの仮装が切実に欲しかったのだろう」
さらに、
「こうして見ると、〝国際社会への貢献〟などと、わけの分からぬ観念で大さわぎをしていた日本とは、いったいいかなる国なのか。(中略)
戦争はこの鎖国にとって、テレビ画像の像と、〝貢献〟をめぐるバカさわぎと、忘れていたアメリカの暴力機能へのやみくもな恐怖でしなかった」
と、綴られていました。
B:
なんと! この本に1990年代初めのドナルド・トランプが登場していますね。
「若き英雄、ドナルド・トランプは大統領になる夢はおろか、借金王になってしまい、離婚したら妻への慰謝料が払えないので、仕方なく結婚生活を続けいている、という体たらくである。あるいはそのうち、英雄からサギ師へ、呼び名が変わるかもしれない」
A:
ほんの数行ですが、あまりにもタイムリーなので、興味深かったです。
さすが、岡庭氏の着眼点は鋭いなと感じました。
先日行なわれたトランプ大統領の施政方針演説は、「大統領演説にふさわしい名調子」で、スタンディングオベーションが何度も起ったとか、ずっと敵対視されてきたCNNの世論調査においても78%が好印象を占めたと報道されましたが、アメリカの暴力機能へのやみくもな恐怖を、感じずにはいられません。
野野花:
そうですね。
日本政府は、トランプ大統領に経済的貢献と防衛的貢献を誓いました。そうして世界中に、アメリカではなく、トランプに忠誠を誓う安倍という構図を印象づけました。
鎖国モラトリアムのなせる技なのでしょうか。
A:
鎖国モラトリアム!
岡庭氏の固有のコトバづかいで、2月20日のブログにありますので再度読んでください。
「人と人との関係は、外と内ははじめから閉ざされている。そして、他者(他国)の立場に立ってみる想像力は、ますます失われつつある。この特有の独善的な一方的交流を、鎖国と呼ぶのである。いわば、鎖国モラトリアムである」
B:
次回は、鎖国モラトリアム時代、メディアに登場したさまざまな人物を、『亡国の予言』から引っ張り出してみます。