復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第23回 2017年6月26日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

森友学園」への国有地売却問題や「加計学園」の獣医学部新設問題の、ある意味、スキャンダル的な(テレビショー的な)疑惑の裏で、「共謀罪」法案の採決が強行されてしまいました。

一連のこのニュースに目を離せない日々が続いて、ブログを書くのが遅れてしまいました。この状況を、父ならどんな風に取材して、語り、書き、斬っていくのだろう? と想像しつつ『自己決定力』に目をやると、問題提起の項目に今回と同じような状況が書かれていることに、ハッとしました。

 

「問題提起

金丸・竹下は〝悪〟か

政治家タタキの背景に浮上する警察国家

 

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この章を、今の現状と照らし合わせて読み進めてみたいと思います。

 

まずは、金丸信竹下登が世間を騒がせていた時代の政治状況を、今一度おさらいをしましょう。若い世代のみなさんは、ピンと来ない名前かもしれませんが、名前を聞くだけで「コンチクショウ!(金竹小)」と、眉間にシワが入ってしまう人も多いことでしょう。(金=金丸信、竹=竹下登、小=小沢一郎

 

時代は、1985年。昭和60年までたぐりよせます。アメリカではロナルド・レーガン2期目に突入、ソ連ではゴルバチョフが書記長に就任した年。日本はと言えば、第二期中曽根内閣で、外務大臣安倍晋太郎でした。

 

さて、本題です。

 

竹下登金丸信は、「創世会」を創設。自民党最大派田中派からクーデータ的に飛び出したんです。2月末には、田中角栄元首相が脳梗塞で倒れます。

1987年、「創世会」は「経世会」として正式に独立。11月に竹下が総理になりますが、1989年の「消費税導入」と「リクルート事件」により、内閣総辞職。

 

この裏を、金丸が取り仕切っていたようですが、中曽根康弘の後継(自民党の総裁指名)をめぐって、安倍晋太郎宮沢喜一と争っていた竹下が、右翼団体日本皇民党よりほめ殺しを受けたことに端を発する 「皇民党事件」が世間を騒がせました。そして1992年、東京佐川急便事件が発覚。金丸は衆議院議員を辞職したのです。

 

数千億円の資金が暴力団右翼団体に、一部は闇献金として政治家に流れたとされて、東京佐川急便の渡辺広康社長らが特別背任容疑で逮捕されます。

 

この後、金丸東京佐川急便広域暴力団の稲川会皇民党というルートで、佐川急便より暴力団右翼団体に資金が流れました。以降、稲川会より東京佐川急便に対して、さまざまな理由で資金援助の要請がされるようになったのです。

 

 

ふう。書いているだけで呼吸が浅くなってきました。

ちょっとここで深呼吸します。