復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第26回 2017年7月17日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

「暴対法」と「共謀罪」について、続けさせていただきます。

 

「暴対法」の場合の暴力団と同じように、「共謀罪」も警察が一方的に認定すれば引っ張れるということになるのです。

そんな共謀罪を「オリンピック開催国の責務だ」とのレトリックを使って、通してしまいました。加計学園のごたごたとともにきちんと討議をしないまま、数の論理で動かしてしまったのです。

共謀罪」法案の採決強行後、早いもので1カ月が過ぎました。

 

今、メディアでは、加計学園をめぐって、その本質ではない話ばかりになってきています。

そんななか、先週は、死刑囚2人の死刑執行がありました。うち1人については、再審請求中、つまり裁判のやり直しを求めているところでした。再審請求中に死刑が執行されるのはとても珍しいことのようです。

第2次安倍内閣発足以降、昨年11月以降、11回目の死刑執行で、合わせて19人になります。そして、第1次安倍内閣と合わせると、なんと29人も。

 

少し脱線してしまいましたが、「暴対法」に戻ります。

 

当時、「暴法」が通ったのちについて父はこのように書いています。

 

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問題提起 金丸・竹下は〝悪〟か の章です。

P107

 

1992128日現在、金丸が沈没してのちの竹下攻撃は、ほとんど〝暴力団とのつき合い〟一本にしぼられた感がある。これは、はなはだ危険な態度である。むろんそのウラに、官僚操作の発表ジャーナリズムの仕掛けがある。コトバに無神経なマスコミは、無雑作に暴力団という官製用語をまきちらしている。つまりはヤクザの親分に物を頼んだのが、〝総理の犯罪〟の唯一、究極の結論だというのである。こんなおかしな話があるだろうか。

 

さらに、P110を読みます。

 

金丸・竹下に対する世論の非難は民主主義の成熟でも何でもない、と私は断言しておく。それどころか、観客民主主義のもっとも悪しき面が露呈してると思う。権力に対する抗議の声までもが、権力によって操られているという、みごとなまでの意志の欠如。依存社会症候群。

民衆は正義派のつもりで抗議の声を上げているが、つまりは管理者会に痛めつけられた身体が、本能的にウサ晴らしをしているにすぎない。しかも、仕掛けられたガス抜きぬに踊らされているばかりか、じつは管理社会を強いている当時の官僚権力の思うツボにはまっている。集中豪雨・一過性の金丸・竹下タタキに無邪気に踊らされるのではなく、その〝国家的パフォーマンス〟の本質を、じっくりと見定めなければなるまい。

 

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そもそもこの「共謀罪」は、小泉政権時代に、思想や内心を処罰するものとして世論の激しい批判を浴び、廃案に追い込まれていますね。1回ではなく、3回もです。それを、「テロ等準備罪」と名前を変えて、オリンピック開催国の責務だとしてリベンジに出たものなのです。国会で議論も充分されないまま、中間報告として禁じ手を使い、数の論理で強引に通してしまったのです。

これこそ民主主の崩です。でも、実際のところメディアもしつこく喰い食ついいないのが現状。

また、選挙民である私たちも、どこかメディアの向こうの他人事になっているのではないかと、つくづく思うこの頃です。

 

それにしても、毎日暑いですね。

お昼寝も大切だと思います。

 

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