復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第29回 2017年8月14日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

このブログを始めて早いもので8カ月が過ぎました。

第1回にも記しましたが、このブログは私が編集長になって、一緒に本を読み合って、編集会議的に父・岡庭昇を因数分解しよう……

そんな想いでスタートしたのでした。

今回は、ひさしぶりに編集会議そのままを綴ります。

 

 

野野花:

『かくもさまざまな言論操作』では、父は当時のさまざまな出来事とメディアのあり方について述べていますが、さっそく第一章が「一党独裁と情報帝国主義について」です。導入から論説が始まります。

 

A:

はい、のっけからズバリ説かれているんです。7ページを読みますね。

「危機が喧伝され、危機意識がかきたてられる。危機があるから、危機意識がそれに関連して突出するのは一応の事実ではあるが、しかし危機があるから危機の報道があるという常識よりも、危機の報道があるから危機が存在し、かつまた増幅されるという力学を認識する方が、あるいははるかに重要なのではないだろうか。」

 

B:

出版年の1998年といえば、不動産バブルがハードランディングです。

その影響で、低迷中の日本経済にようやく立ち直りの兆しが見えたのに、景気回復より財政再建を優先する超緊縮予算が組まれたのでした。

 

A:

消費税などの負担も重なって、橋本構造改革で持ち直してた景気が、再び急速に悪化していきました。そうして、4月に日産生命が破綻、11月には拓銀山一証券が破綻。 景気対策のために年末には特別減税が実施されて、橋本内閣が退陣となった一連の出来事が、ああ蘇ってきます。

 

野野花:

そのときに記事について、父が例に上げています。

1997912日付の『朝日新聞』です。

 

GDP11.25%マイナス成長 45月年率換算 消費低迷 予想越す」

記事は、個人消費が予想を超えて落ち込んだこと、そのため「1.9%成長の達成」は不可能になったことを伝えている。そのため、《外需依存が一段と強まった。米政府は「内需主導の成長という国際公約にはんしている」との批判を強めて》いる、というのだ。

 いぜんとして、まったく改善されない「外需依存」である。いいかえれば、市民に富を渡さず、当然の結果として国内需要を確立もしなければ、そのつもりもない、日本型国家独占資本主義の本質を、あからさまに示している。

この国では市民は、「市場」を形成する資格さえも与えられない。

 個人消費が「落ち込んだ」のは、消費税の増額や、ちっとも信用出来ない国家が民衆に与える不安感のせいであって、そうであれば、ある意味で当然の現象だろう。 

 

A:

「わたちたちは市場を形成する資格さえ与えられていない」

 

B:

ここ、大切ですね。

 

野野花:

はい。まさにここに、この国の経済の根本的な問題が集約されているとも言えると父は書いています。

現在、アベノミクスは経済を押し上げているように見えますが、これはまやかしだと民衆も少しずつ気がつき始めています。でも、メディアにはきちんと論説する人間がいません。どこか他人事で、安倍内閣の支持率が上がったの下がったのと伝えているだけで、どの局でも同じコメンテーターが同じような話をl繰り返しているだけです。

 

A:

安倍首相のパトロン的存在の友達ゆえに、周囲が忖度して加計学園ありきと述べたが、国家略特区が本当に戦略になっているかどうかについて語るものはいない。今、河合雅司氏の『未来の年表』(講談社現代新書)を読んでいるのだけれど、今やこの国は「人口減少は有事」の事態になっているんです。

 

B:

わたしも今読みかけています。2018年には国立大学が倒産の危機になるという時代に、国の補助金地方自治体の補助金を使ってまで大学を作る意味があるのかと、本当にハッとさせられる内容です。

 

A:

人口減少になっていく国がどうするべきかということは語らず、漂流する老人・格差社会など、ドキュメンタリーでは「危機」そのものだけを語るけれど、本質的な部分を誰も語っていません。

 

野野花:

評論は出来ても、本質の話はまったく進んでいない。20年前と全く変わらない言論操作を今また感じてしまいます。最初の章からこうして当時のことを読んで分解していくと、つくづくまったく変わらない日本の現状を突きつけられますね。それでも、目を背けずに読み進んでみましょう。

急に秋の気配を感じる今日この頃です。

 

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