復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第36回 2017年10月9日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

このブログが、今の時勢にぴったりの内容になっていて、驚いています。

 

解散からのこの2週間、「希望の党」の発足、続いて「立憲民主党」の発足と、国政を取り巻く状況がめくるめく変わりました。

メディアやネットを見ながら、その本質を捉えたいと過ごしているうちに、あっという間に1週間がたってしまいました。

 

安倍首相は解散後の街頭演説で

「いま野党は、新しい党をつくろうとしている。1990年代に新党ブームがあった。あの新党ブームの結果、政治は混乱し、日本は長い経済の低迷に突入した。2009年、民主党ブームがあった。いよいよ混乱を極める状況になって、どんどん雇用が失われた。自民党公明党はこの混乱に終止符を打った、ブームからは決して希望は生まれない」

と、話しました。

 

また、「希望の党」の小池代表は、

考えてみますと、これまで首班指名云々のときに、これまで自由民主党の方々は、羽田政の後の村山政をかついだということがあった。こんな形で水と油で血がばれたということも、首班指名という言で改めて思い出したところだ」

と、述べています

 

ここまでも、その当時のことを振り返ってきましたが、

まさにこの二人の党首も、あの当時の再来について触れています。

 

今回の選挙は政権選択選挙だと言われていますが、私たち民衆にとっては、永田町の論理の押しつけのようにしか思えません。

自民党側の都合によってつくられた解散。

劇場型、ご都合的な争点メディアから流れる今回の選挙評は、情緒的な話ばかりです。この選挙期間中、国民を中心とした民主主義というものを実現する政党は何なのかをあらためて考えるために、あらためて父の著書から導き出してみましょう。

 

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 それはわたしたち市民が、情報帝国主義にいいようにふりまわされないためにも、みずかららの主体的な意思表示として実現されるべき課題である。そのことにまちがいはない。だが、それはそうとして、さらに重要な認識がある。

 それが、わたしの言う、国家独占資本主義(その変態である一党独裁)の、本質的な「いかがわしさ」なのである。

 一党独裁は、わたしたち市民の、生活の実態とはついに関わることがない。わたしたちが真に必要としているものとは別な次元に、生活のいわば「まがいもの」を虚構するだけのことだ。こまったことには、われわれ自身も、それを生活実体であるかのように錯覚している。あるいはさせられている。

 わたしがしばしば指摘した、景気という発想の欺瞞が、その一例だろう。

 

 景気という発想は、きわめて特殊なものである。すくなくともそれがいかなる経済上の指標であるかは、突き詰められていない。なんとなく、経済の動向を表す基準であるかのごとく扱われているが、景気がよいと経済もよいことになるのかと問えば、じつはあいまいな定義にしかならい。いや、もっとはっきり言えば、景気がよいということは、じつは経済がよいことには等しくないのである。

 そもそも景気が「よい」状態とは一体、なにを基準として定められることなのか。その肝心な問いをはぐらかすために、むしろ景気といういい方が使われてきたと、逆に言った方が正確かも知れない

 経済が「よい」と判断するには、ほんとうはわたしたち市民、民衆のあるべき生活の方向を、みずからの価値観を以て提起することが必要になるからである。もちろん、そういう風に市民が発想することとは、権力にとって、好ましいことではない。

 

 この例で言うなら、根本は「演出された経済」という本質にあるのだ。そして、「演出された経済」などというものが、そもそもどれほど「いかがわしい」ものであるかは、特に説明を必要とはしないに違いない。

 国家独占資本主義は、本質的に「いかがわしい」。その変態である一党独裁においては、ますますそうである。わたしたちにとって必要なのは、この「いかがわしさ」の根本にきちんと向き合い、それを批判的に捉えることである。それはなによりも、われわれ自身がどのように生きようとするのか、どのような社会を欲するのか、という原則をおいてはあり得ない。それを素朴な発想と嘲笑するのは容易なことだが、じつは権力は、その「素朴さ」をこそ、恐れるのかも知れないのである。

 

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 安倍首相は、

「1990年代に新党ブームがあった。あの新党ブームの結果、政治は混乱し、日本は長い経済の低迷に突入した。」

と、いっています。

 

 でも、世の中で景気がいいといっているのは、アベノミクスと称して補助金がばらまかれ、私たちが感じることのない実体のない景気なのではと、あらためて認識しています。

 まさに、今言われている景気は、演出された景気であり、格差社会が広がり、過労死が増え、だれも幸せ感を感じることが出来ない世の中になってきていると感じます。

 2016年、世界幸福度について、日本は53位です。

 これは何を意味するのでしょうか。演出された経済ではなく、私たちが幸せになるためにこの統一選挙ではあらためて情報操作に惑わされることなく候補者の話を聞いてみようと思いました。

 

 次回は共生的民主主義についての章を読みながら、民主主義を考えたいと思います。

 

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朝陽を待つ富士山です。