復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第47回 2018年1月29日


こんにちは、岡庭野野花です。

 

『帝国の暗闇から』で語られている済州島の「4.3」殺戮や、台湾で起こった「2.28大殺戮」など、私たちはまったく知りません。戦後のアジア史について、学校で習った経験が皆無だからなのは言うまでもないでしょう。
でも、私たちには父のこの著作があります。本はすばらしい。後世にこうして細々とだけれども生き続けていて、学ぶ機会を与えてくれている。
はじめるのに、遅いなんてことはないでしょう。
今日はまず、「2.28」大殺戮について、レビューしましょう。

 

台湾は第 2次世界大戦後、1943年に開催されたカイロ宣言に基づいて、連合国軍の委託を受け、中国大陸から蒋介石引きいる中国国民党政府の官僚や軍人が進駐をしてきて進駐し行政を引き継ぎました。日本軍の武装解除を行うためでした。


A:
でも、1947年2月 28日、中国・台湾で大陸人支配に対する台湾人の反乱事件が起きました。

 

B:
なぜ起きたのか、そこをちゃんと知りたいです。

 

A:
直接の引き金は、前夜の台北市。大陸人官憲の闇たばこ摘発隊が、台湾人の老婆を殴打したんです。これに抗議するために集結した民衆に発砲して、一人が亡くなってしまいます。そして翌日。憤激して省行政長官兼警備総司令陳儀の公舎に向った市民デモ隊が、機銃掃射を浴びせられ、死傷者がたくさん出てしまったという事件です。
激怒した民衆は大陸人の店々を焼き、放送局を占拠して、全島民に決起を訴えて、反乱は各地に広がりました。
数日後の3月4日には、台湾人による秩序維持と食糧確保するために全島処理委員会が成立したのですが、蒋介石は3月8日夜から9日に増援軍を上陸させ担です。最終的には、1万余の台湾人指導者と民衆を殺傷して鎮圧しました。
以上、ブリタニカ国際大百科事典を参考にしてみました。

 

B:
『帝国の暗闇から』からのページより、「2・28大虐殺」の記述も興味深いです。
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P94
「2.28大虐殺」は、1946年、台湾を占領しようとする中国国民党、つまり蒋介石軍が、抵抗する台湾人に対して行った。以来、国民党は力で台湾を占領し、台湾人のナショナリズムを押さえ込んで来たのである。いわば台湾の戦後は占領された状態だった。そんな事実さえ、旧植民地支配国である日本の戦後は、確信犯的に無視した。


台湾人の始まりは、インドネシア系先住民と、400年前に、当時の植民地支配者オランダによって中国から買われた農奴である。以来先住民と彼らの混血も含め、固有の文化をもつ「台湾人」が形成されて来た。


だが、それは悲劇の民族でもあった。民族の期限からも分かるように、植民地オランダの濃度に始まり、鄭成功・旧明復権王朝や宗、清王朝、そして日本帝国と支配者は変われど、常に植民地だった。日本帝国が敗北して、やっと台湾独立が叶うと思ったら「2・28大虐殺」を踏まえた蒋介石軍の占領である。当時台湾人は、豚(日本帝国)が去ったと思ったらこんどは犬(国民党占領政権)かと嘆いたという。


「台湾人」という発想が、何よりも大事である。そう発想しさえすれば、「本省人外省人が反社会主義という共通のセオリーの元、仲良く統一戦線を貼った」という神話の、馬鹿馬鹿しさはあまりにも明らかであろう。


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野野花:
ゆっくりと咀嚼するようにしながら読んでいたら、朝になりました。
霧の朝でした。

 

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