復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第51回 2018年3月5日

 

こんにちは、岡庭野野花です。

 

1948年4月3日に起きた「済州島大虐殺」から季節が1つ過ぎて、

その年の夏、つまり1948年8月15日ソウル李承晩が「大韓民国」の成立を宣言しました。

 

A:

これに対峙するかのように翌月9月9日、金日成ソ連の後援を得て「朝鮮民主主義人民共和国」を成立させるのです。

 

B:

北緯38度線はこの結果、占領国が引いた占領境界線ではなく、事実上、当事国間の「国境」となってしまいました。

 

A:

建国後、南北両政府の李承晩大統領は「北進統一」を、金日成首相は「国土完整」を主張して、共に政治体制の異なる相手国を屈服させることによる「朝鮮半島統一」を訴えていきます。

 

B:

その後、金日成は李承晩を倒して、統一政府樹立のためにソ連の指導者ヨシフ・スターリンに南半部への武力侵攻の許可を求めたけれど、アメリカとの直接戦争を望まないスターリンは、許可しなかった。

 

A:

はい。そして12月にソ連軍は朝鮮半島から軍事顧問団を残し撤退します。

翌年の1949年6月には、アメリカ軍も軍政を解いて、司令部は軍事顧問団だけを残して撤収。北朝鮮は「祖国統一民主主義戦線」を結成します。

 

B:

米国・ソ連が撤退・撤収した後、政治体制の異なる南北両政府は、互いに互いを併呑することによる朝鮮統一を主張することになるのですね? 

 

A:

はい。そして、1950年6月25日北朝鮮は朝鮮統一を目指して朝鮮戦争を引き起こすことになります。

 

B:

この頃、地続きの中国大陸はどのような状況だったのでしょうか?

 

A:

いい質問です。

ソ連の支援を受けていた毛沢東主席が率いる中国共産党国共内戦に勝利。そして、1949年10月1日に「中華人民共和国」が建国の運びとなっています。一方、トルーマンから、米国が仲介共産党との調停を中国国民党は破ったと看做してと……いう理由から支援を絶たれた中国国民党蒋介石総統率いる中華民国は、台湾に脱出することになります。

 

B:

なるほど、そこで、台湾の「2.28大虐殺」が起こるのですね。

いま、全体がつながりました。

 

野野花:

父が台湾の「2.28大虐殺」と済州島の「4.3虐殺」について、一緒にここでのべるのは、結局は大国、つまり「帝国」の勝手な都合により民族の分断・民族の迫害が起こってくるということになるのではないでしょうか?

 

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今日のお話から、きれいな河の風景が浮かびました。