復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第71回 2018年11月19日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

最近、面白い論文を見つけました。

著者は、木村時夫という日本の政治史学者です。

今日はまず、この中の文章をご紹介いたします。

 

夏目漱石におけるナショナルなもの

 ――その文学観・文明観を中心として――」の中の、

「明治の知識人 漱石」の一部です。

 

 

日本が世界から孤立した鎖国政策を一擲(いってき)して開国に転じたのは、圧倒的優位をしめる西洋文明の進攻の前にそうせざるを得なかったのである。すなわち、国を開いて西欧文明を摂取し、日本自らが西欧諸国と比肩するに足る国力をもたぬ以上、国家そのものの独立を維持し得ないことを自覚したからである。

西欧文明の摂取は国家の存立をかけた、国民的使命として受容されたのである。しかし、明治人の宿命は単なる西欧文明の摂取に留まらなかった。

なぜならば近代国家として国際社会に仲間入りするために必要な西欧文明は、固有な日本文明の 変質をもたらすからである。

日本文明が異質文明の影響の下に変質し等質化することが、日本の将来にとってどのような意味をもつか。日本の伝統をふまえての西欧文明摂取の方法はないものか。これらが明治知識人に共通の課題となったからである。

 

(中略)

 

このことは明治の日本人のヨーロッパへの留学という事実にも見られる。というのは文学者でいえば漱石も鴎外も、ひとしくヨーロッパに留学しているが、彼らの留学は決してその知識や思想の西欧化をもたらさなかった。その留学は日本的なものと西欧的なものとの対決、すなわち摂取なければならぬ西欧文明の影響下において、日本の将来をどのような方向に位置づけ、日本的なものをいかに保持しなければならぬかという、苦悩にみちた一時期であった。

 

 

野野花:

いかがでしょう。興味を持っていただけましたでしょうか。

 

では、父の本に戻ります。つながる部分として父は、<『道草』は原罪の文学である>で、このように述べています。

 

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P55

「嫌悪する自分を嫌悪する」という、この鋭敏な感覚。それがここでのテーマであり、同時に確認された明治の本質的な「違和」に他ならないのであろう。

 

自分は旧来の江戸文化を(その主体たる江戸庶民を)脱出した。

それは、新文化に対応し得る知恵の産物であり、洋行も自分の才能で獲得し得たものである。だから、江戸庶民への嫌悪も当然だ。こんな風に割り切って自己肯定できるような感性だったら、特に苦悩にもならぬ苦悩だろう。

だが反対にその裂け目にこそ、避けられない苦悩を抱えてしまうところに健三の真の誠実さがある。

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さらに

 

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P 61

明治という転換期のふりをした予定調和と規範が支配する時代。何よりもその支配原理は、近代と前近代の優劣を会えて語らないまま自明とし、転換期そのものの真贋を見据えることをさせなかった。

先行する近代という規範にニセの時代価値を与えた。あるがままな実在を封印して、新時代を領導するこの欺瞞が、究極のところ主役たるべき「洋行帰り」の健三を、落ち着いて心身を置くべき場所がこの世の何処にもないという気持ちにさせる。この不安にこそ、明治の優れた知性によるもっとも良質な日本近代批判がある。

 

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A:

うわ〜! 漱石の作品が、明治維新に始まる日本近代化の批判に繋がるとは思ってもみませんでした。

 

B:

本当に。中学高校時代に夏目漱石を読んだ時、明治維新に対しての文学者の立場がどうかと考えるなんて、まるで発想がありませんでした。

 

野野花:

父の漱石評は、このあとに綴られてる

「維新か御一新か ――漱石の抵抗――」に引き続かれていきます。

 

次回は、この章を読み進めつつ、漱石を通して「明治」という時代をのぞいてみようと思います。

 

写真は、漱石ゆかりの地「愚陀仏庵」(松山市・2010年に倒壊、再建協力を呼びかけているという)。

 

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