復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第34回 2017年9月18日

 

こんにちは、岡庭野野花です。

 

安倍首相が、どうやら大義なき臨時国会で冒頭解散をするといわれています。

 

 

A:

支持率が少し回復したのをいいことに、民進党がぐだぐだ、小池新党がまだ立ち上がらないこの瞬間に、国民に是非を問うという……

 

B:

理由付けはどうでもいいんでしょうね。

 

A:

はぁ〜(ため息)。国民不在の永田町政治がこれから先も続くのでしょうか。

他の先進国みたいに「二大政党制」であるべきと、今もまた新しく、小池都知事に一番近い若狭議員が、これまでの政党を結集して新しい政党を作ろうと動き、民進党もまた、政権与党に変わる政党になろうとはしているのだけれど、道筋は見えないまま。

 

B:

はい、まったく見えません! 自由民主党の独走が続く可能性の方が高いじゃん、と感じずにはいられない状況。で、今また勝手に「解散」との言葉が、メディアのトップを飾っているわけです。

 

A:

あらためて私たちは認識したいのですが、解散総選挙には多額の税金が使われるんです。なのに、この大義のない解散を、国民は黙って見ているしかないと思うと、なんともやりきれないです。

 

野野花:

ちょっと冷静に振り返ってみましょうか。

そもそも、55年体制の終焉をもって、1994年末から1997年新進党が誕生しました。以来、自民党カウンターパートになると言っては、離合集散を繰り返す新政党があり、期待する政党がある。こんな中、民主主義を実現できる政党が、今後出てくるのか、まったく道筋が見えないのが実際のところなのです。

 

B:

55年体制とは、与党第1党は自由民主党が占めて政権を維持して、野党第1党は日本社会党が占めていた体制ですね。

 

:

1955年(昭和30年)に確立した構図だから、55年体制と呼ばれている。

 

野野花:

父は、『かくもさまざまな言論操作』で 

ある種の期待とも重なって、おおいに宣伝された「二大政党」論はすでに破綻した。「二大政党」論の幻想が成立し得なくなった、と述べています。

 

P70からの、「政治家という職業」こそは倒錯である

を読んでみたいと思います。

 

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社会党社民党と名前を変更し、それと前後して、自民党の「手下」になった。それこそが、あたかも冷戦後の時代における、歴史的な対応でもあるかのように。むろんのこと、そのような「理屈」などだれも信用してはいけないことは、同党への大衆的な支持の、いわば壊滅的な現状況が、なによりも良く示している。危機意識に駆けられた土井たか子が指導者に復帰して、なんとかかっこうはつけたものの、権力に寄生するうまみからまだ脱却できないという、あさましい状態のようだ。これを、もともと一種の虚構である「戦後」体制にあって、役割としての反対党にすぎなかった同党が、その本質をはっきりさせただけだと結論づけるのは容易だが、それにして反対勢力のこのほぼ全面的な転向は、やはり民主主義にとって重大な辞退であるといえる。

 社会党のこのあさましいまでの転向は、それなりの「進歩」や「革新」のおわりにほかならないが、そのことにある種のさびしさを感じたり、批判するよりも、むしろ弱小勢力でありながら一党独裁に、割り込んで権力の分け前にあずかる「巧妙」さを「評価」し、大いに真似しようとするのが「専門家」としての政治家の発想なのかも知れない。

 

 

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野野花:

今日は、「民主主義」が2回登場しましたが、ひさしぶりに耳にしたような気がします。

 

 

敬老の日でしたが、敬老の日の発祥の地といわれる兵庫県多可町には、「棚田百選」にも認定された棚田があるとのこと。今頃こんな風景かしら。

 

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