復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第38回 2017年10月23日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

 衆院選が終わりました。

 超大型台風が北上するなか行われたこともあり、史上2番目に低い投票率でした。今日はこの衆院選を振り返ってみます。

 

A:

突然、大義のないまま始まった衆院選。小池さんがつくった「希望の党」は、台風の目にはならずに、野党の崩壊を招いて、終わってみたら自民の圧勝。

安倍一強に自信をつける結果となりました。

ますます独裁が進んでいくことになるのでしょうか?

テレビでは野党の再結集などの情報が報じられています。

 

B:

総選挙にかかる費用は、800億円です2週間にわたってテレビで流れる情報は情緒的で、同じコメンテータが都合のいい話を垂れ流していたとしか感じませんでした。

正直、今回ほど、お金と時間と情報の無駄を感じ、徒労であったと感じたのは私だけでしょうか?

安倍自民党の支持者に若い層がいると言われています。

二大政党制にもっとも近づいたのは民主党権時代だけども、それがうまくいかなかった、という認識が世の中にまったことで、自民党以外の選択肢がないと若者が思ってしまっているのではないか? という話も聞きます。

 

A:

今回は、野党のオウンゴール自民党が勝っただけ。積極的支持ではなかったとは思うんだけど、メディアも世の空気も論戦と真意を伝えるというより、小池さんの胸のうちはどうだの、裏切ったの、見限ったの、捨てたの……と、スキャンダラスに流れる情報ばかり。

途中でテレビを見るのが嫌になりました。

 

B:

情報が稚拙化しているというか、民衆の下に見られているというかなんだかすっきりしませんでしたね?

 

A:

本来政治は、私たち民衆のものであるべきです。そして税金の使い方などは、税を納める私たちが決めるべきです。なのに、なんだか今回の、「増税分は次世代の教育のために」とか「憲法に教育の無償化をいれる」とか、あんたに言われたくないわ! と思うことが多くありました。

 

B:

日本人の多くが、「お上」という意識から逃れられず、やはり何かをして貰うという意識が強いのでは?

なので、野党が何を言おうが、自民党にまかせておけば何かやってくれるという意識が多いのでは?

これまでのアベノミクスがどうだったかという評価もないまま、今度は教育費の無償化というなんか違う目玉を出してきているような気がするのは私だけなのかしら?

 

A:

自分たちの払った税金を自分たちのために使うために政治家がいる、という意識が低下しているのではないかと。今回の総選挙を通じて思いました。

私たちの税金の使い方をキチンと決めてくれるのが国会議員だと思うし、それと憲法に関する話が違うと思うんだけど、どうかしら?

ニューヨーク・タイムズは、「安倍は北朝鮮をうまく利用している」と書いていました。憲法問題についてきちんと語らず、情緒的に北朝鮮問題を使っていると。それって、不安商法と同じでしょう!?

それに対して、メディアもホント責任あると思います。

 

野野花:

アベノミクスってうまく話をもっていっているけど、結局かつての公共投資と変わらないですよね?

特区をつくって補助金という公共投資をする。

結局、自民党が勝ったことで、加計学園などの問題はうやむやになるでしょうね? きっとメディアがそんな雰囲気を醸し出すのでは? 加計学園公共投資と変わらないわけですよね。

 

父がかくもさまざまな言語操作を執筆したときには、ゼネコン工事が公共事業をされていましたが、それ以外にもありますよね。そんなことを話をしていたら公共事業と民衆についての記述を見つけました。

 

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P124

 

 一党独裁の柱のひとつである公共投資は、切実に不況でさらに重要な「役割」を占めていると、同日同紙の別の記事は伝えている。

 つまり、バブル経済の破綻による民間の経済の不調を、公共事業による官庁の発注が支えているというのである。

 公共投資への過度の依存の意味は、あまりにもはっきりしているだろう。つまりさらに一党独裁は、その権力を確立して、われわれが望む人間らしい社会の実現とは対立するありかたを、われわれに強要するだろう。

 権力の側の論理だけで、独裁が現実的に成立すると考えるのは観念的だろう。じっさいには民衆の側にも、一党独裁を期待し、あるいはその利益に参画したいという欲望があるからこそ、それは安定した権力構造たり得ているのだろう。むろん、そこには生活のためのやむを得ない選択という事実があって、すべてを「心がけ」の次元に帰着させるわけにはいかないのは当然であるにしても、やはり一党独裁への民衆の側からの参加こそが懸案になる。

 そのためにも、「一部の改選」などの欺瞞に欺かれるのではなく、根本的に官僚から、すべての許認可権を奪うことの改革を志向しなければなるまい。公僕とはほんらい、民衆に対して、誠意と専門性を以って向き合う存在のはずなのであり、そこに権力が派生することじたいがおかしいと考えるべきなのだ。

 

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 今回、本来、「素朴に民主主義について私たちも基本から再検討する」について考えようということだったけど、選挙の結果を受けあらためて日本のこれからを考えるにあって、日本人の体質とメディアについて考えさせられた週末でしたね。

次回は、改めこれから民主主義をどう考えるのかを、父の著作からピックアップして考えていきたいです。

 

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