復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第39回 2017年10月30日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

すんなりと、第4安倍内閣がスタートしました。

 

A:

安倍さんは、「国民の意見を謙虚に受け止める」とさらりと言い、与党側は当初、特別国会を8日間で閉じる予定で、臨時国会も開かない方針です。

 

B:

そればかりか、慣例的に野党に多く配分されている質問時間を制限する案も突如打ち出したり……

野党のオウンゴールで勝ったにすぎないのに、国民の信任を受けたとして暴走しそうな気配です。私たりは、しっかり監視する必要があります。

 

A:

今回の選挙は、保守リベラル論争から、民主主義について再定義するべきいい機会だと思ったのですが、終わってみるとますます、一党独裁が色濃くなってしまいました。

 

野野花:

でもここでは、先週からの課題として「民主主義をどう考えるのか」を、父の著作からピックアップして考えていきます。

 

A:

自民党が支持された理由のひとつに「自民党の経済政策のおかげで景気が良い」があげらてれます。

 

B:

このまま自民党政権が続けば、好景気が続くはずと思った人が、日本に大量にいたことが、自民党圧勝に繋がったんですね。ふぅ。

 

野野花:

ため息が出ますが。父の「かくもさまざまな言語操作」から、父が景気について語っている章を読んでみようと思います。

 

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P238

「好景気」は「いいこと」か

 

 ひとくちに好景気とか不景気とか言う。生活の基本にかかわる問題である。わたしだって、景気がなんとか立ち直りそうだと聞くと、やはりほっとする。だれしもそれが本音ではあるだろう。

 それはまったくそうなのだが、この場合、経済活動が市民の生活にとって「いい状態」であることを表現することばとして「好景気」は使われている。逆に言えば、「経済が市民にとって望ましい状態である」ことを表現するのに、ほかに適当なことばがないから、わたしたちはそれを好景気と表現する。しかしここに、ほんとうは重要な問題があるように思われる。

 あらためて考えなおさなければならないことなのだが、ほんとうに「好景気」はまた、わたしたちの経済が望ましい状態であることを示す唯一の、そして十全の表現なのだろうか。

 じつは好景気と言う表現には、ふたつのニュアンスがある。わたしたちの生活上のごく一般的な表現と、官僚やエコノミストが使う、いわばテクニカル・タームとしての側面である。テクニカル・タームというのは専門用語という意味だが、この場合は業界用語と言っておきたい。

 わたしたちが好景気と言うとき、当然、生活から発想している。しかしそれは、テクニカル・タームであるときには、国家や産業界の立場から経済を捉えている。

「専門家」は、国家や産業界の立場からのみ、「好景気」の意味を捉えている。この「のみ」に、じつは問題がある。国家や産業界のためであれば、同時に生活のためであると信じるには、わたしたちお人好しの市民も、十分に苦い体験をしたのではないか。わたしたちは好景気という同じことばで、じつはわたしたちの生活が、ほんらい望んいるのとは違うものに期待している。このからくりに気がつかなければならないし、あえて言えば反省する必要もある。

 

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続く。

 

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ため息じゃなくて、高い青空の下で深呼吸したいですね。