復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第49回 2018年2月19日

 こんにちは、岡庭野野花です。

 

今、平昌オリンピックが開催されています。

今回の平昌オリンピックは、国際的に孤立する北朝鮮が民族統一を旗印に「ほほえみ外交」を仕掛けていて、この影響で日米は、日米韓の北朝鮮への圧力歩調が崩れるのではないかと、韓国に何度も確認をしています。

 

A:

文大統領は、その狭間に立っているようです。日本での報道でも、文大統領の態度がふらついていると、批判的な報道が目立っています。

 

B:

平壌ピョンヤン)オリンピック」ってささやかれています。

 

A:

北朝鮮は、金正恩独裁国家で、核ミサイルを持ち。非人道的な政府の印象は確固たるものです。そんな北朝鮮でも、文大統領は「南北統一」を実現したいと思っていると。

 

B:

「どうしてそこまで南北統一を思うの?」と、私たちは単純な疑問がわきます。

 

A:

その思いの根っこの深さを理解しろよと、オリンピックが導いているのかもしれないですね。そこには、日本が占領した以降の歴史を知る必要があるでしょう。

 

野野花:

父の『帝国の暗闇から』を引用しながら、韓国の歴史を紐解いていきましょう。

 

まず、知識として……

日本が降伏する前の1945年8月9日、すでに日本占領してきた満州国への侵略に伴う、日本領の朝鮮半島への侵攻していたソ連に対して、アメリカは38度線での分割占領案を提示。この境界線は、30分間で策定されたそうで、アメリカ軍占領域にその後、大韓民国の首都・ソウルとなる「京城府」が含まれることも考慮されていました。ソ連軍は、アメリカによる朝鮮半島分割占領案に合意して、17日には一般命令第一号として、38度線以北の日本軍はソ連軍(赤軍)に、38度線以南はアメリカ軍に降伏させることが通知されます。そして9月2日日本は降伏文書に署名しました。

 

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ここは、何よりも米・ソが冷戦の最前線だった。大戦末期において、すでに冷戦の綱引きは始まっており、大戦終結直後のある時期には、朝鮮半島では1日毎に状況が変わったと説く歴史家もいるほどだ。この状況の不安定さの陰で、従来朝鮮植民地を支配し、敗戦で首を洗っていた日本の出先官僚が、あろうことか免責されてしまった。

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野野花:

当時の朝鮮半島内では、独立運動を志向する諸勢力も存在はしたようですが、独立志向組織はむしろ国外にあり、その勢力は小さく亡命先での活動が主だったようです。

いずれも朝鮮半島の住民から大きな支持を得るには至らなかった。

 

A:

日本降伏時、朝鮮全土にわたって独立建国に向かう民意の糾合はまったく醸成されていなくて、日本統治からの突然の「解放」は、あくまで連合国軍により「与えられた解放」で、朝鮮人民が自らの力で独立を勝ち取るという状況ではなかったということですね。

 

野野花:

そして、12月。アメリカ、イギリスソ連の外相会議がモスクワで開催さレました。ここでアメリカは、朝鮮半島における民主主義的な政府の建設を目標として、暫定政府を成立させた後、米英ソと中華民国の4か国による最長5年間の信託統治を提案しました。

 

B:

「モスクワ協定」ですね。

 

野野花:

はい。アメリカとソ連は、翌年1月からの予備会談を経て、独立国家の建設を準備するための米ソ共同委員会を設置しました。でも、李承晩などが反信託運動とともに反共・反ソを激しく主張。ソ連はアメリカに李承晩らの排斥を訴えましたが、アメリカは反信託よりも反共を重視して聞き入れず、お互いの姿勢を非難して対立、委員会は決裂、信託統治案が頓挫します。

 

次週は、父の記述をたっぷりとご紹介します。

 

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気持ちのいいお天気が続いていますね。