復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第50回 2018年2月26日

 こんにちは、岡庭野野花です。

 

前回は「モスクワ協定」の話題になりましたが、『帝国の暗闇から』の続きを読み進めます。

 

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P95 

それどころか、アメリカは冷戦第一にこり固まり、従来主張する民主主義など棚上げにした。アメリカ当局は再び挑戦支配に帝国官僚の酷薄なやり方を踏襲したのである。そして朝鮮戦争が始まる。朝鮮戦争の状況も、本当のところが伝わるわけもなかった。いや、他ならぬ日本人こそが、ただ戦争景気で儲かりさえすれば良く、旧植民地国の状況など積極的に封印することを望んだといえる。くりかえすが、これは徹底して軽薄極まりない歴史的態度だと自己批判しなければならぬ。

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この時代背景をおさらいしてみると……

A:

ソ連占領下の北半部では、金日成を中心とした共産勢力が、ソ連の後援を受けた暫定統治機関としての北朝鮮臨時人民委員会を設立しました。

 

B:

そして、トルーマンが世界的な反共活動を支援すると宣言をして以降、南朝鮮では共産勢力の徹底した排除が行われるようになりました。

 

A:

そこへ反共活動のため渡米していた朝鮮独立運動家・李承晩は、南半部だけで早期の国家設立とソ連の排斥を主張し始めました。

 

B:

1947年軍政と対立したまま、李承晩を中心とした南朝鮮過渡政府が設立されますが、左右合作を目指していた朝鮮独立運動家・呂運亨が暗殺され左右が決裂。

 

A:

これを機に、北半部と南半部は、それぞれ別々の道を歩み始めたのです。そうして、済州島四・三事件(チェジュドよんさんじけん)が起こります。

 

B:

Wikkipediaを読みと、

1948年4月3日在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊韓国軍韓国警察朝鮮半島李承晩支持者などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す南朝鮮当局側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による大粛清が行われ……

 

A:

島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺されて、済州島の村々の70%が焼き尽くされたとは、本当に痛ましい出来事だとあらためて感じます。

 

野野花:

この事件についても、父はとても深く綴っています。

 

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P96

ともあれ、1948年4月3日に、それは起きた。

プレ朝鮮戦争の状況で、優位を占めたパルチザンを殉滅すべく、アメリカ軍と李承晩によって、島民の手当たり次第の虐殺がなさあれた。この小さな島で、3万人の人が殺されるという「済州島虐殺」は、この日をピークとしておよそ6年に及ぶ血塗られた歴史の始まりを告げた。

このあまりの悲劇は、ついに隣国日本から隠し通された。同時に、あまりの悲劇ゆえに、それは結果として袋小路に入った。共産党パルチザンが虐殺の本来の対象として狙われたが、追い詰められた彼らは、また、猜疑心を以て民衆に対峙した。民衆はどちらからも敵対されたと、済州島蜂起=虐殺の証人たる金石範と金時鐘は述べている

(『なぜ沈黙を守ったか/なぜ書き続けてきたか』)

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朝鮮半島は、身近な隣国。

 

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