第52回 2018年3月12日
こんにちは、岡庭野野花です。
その後1950年6月25日から1953年7月27日に、国連軍と中朝連合軍は朝鮮戦争休戦協定に署名して休戦へといたります。
このときの朝鮮戦争を起こした金日成の認識に立ち返ると、今の金正恩は祖父・金日成の考えを踏襲していることがわかるでしょう。
A:
そもそも1950年の段階でアメリカが責任を持つ防衛ラインは、フィリピン 〜沖縄 〜 日本 〜 アリューシャン列島までですよね?
「これ以外の地域は責任を持たない」と発言(「アチソンライン」)して、
台湾、インドシナなどとともに朝鮮半島には言及がなかったというのです。
B:
文献を読むと、つまり……
「これらの地域への軍事的攻撃について何らかの保障ができる者はいない。そのような攻撃が行われた際には(略)、最初は攻撃された人々に頼るしかないのだ」とあります。
続けて、「彼らが断固として戦うならば国連憲章に基づき国連の裁定に訴えることができるだろう」
そんな風に、最後をあいまいに結んだのですね。
A:
そこで中国大陸が共産化しても「台湾不介入声明」まで出した、トルーマン政権の対中政策を、しっかりと観察していた金日成。
B:
朝鮮半島にもこれを当てはめて、「アメリカによる西側陣営の南半部(韓国)放棄」を推察したのですね。
A:
そうして朝鮮戦争を仕掛けていくわけですが、祖父・金日成が作り上げた世界を実現しようとするならば、今の金正恩の凝り固まった考えの理由も分かるような気がします。
B:
歴史的に一度も民族の力での独立をなしえなかった朝鮮半島の真実を深く知れば、平昌オリンピックに見られた文在寅大統領の「ふらふら外交」は、もしかしたら悲願ゆえで、ありなのでしょうか?
野野花:
父の著書の一説の意味は、歴史をこうして少しずつ、そして深く紐解くことでより納得できます。
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P97
とにかく、台湾の「2・28蜂起(=虐殺)」と韓国の「4・3蜂起(=虐殺)」は、ともに戦後日本に置いて封印され切った事件だった。それらが、いずれも戦前日本帝国の植民地だったことが、冷戦構造の必然性とともにその大きな要因だった。
戦後のそれら旧・植民地の支配において日本帝国は結局のところ弾効されず、かえって冷戦構造の中で支配モデルとされ現場で引き継がれたのであって、建前の民主主義と平和な日本と裏腹なこの実情は封印されざるを得なかった。そして、狙い通りにまったく歴史を知らない、世界にもまれな世代が育ち、帝国はトボけ切ったのだった。
戦前の帝国列強時代と同じく、戦後の平和な時代において、まさにその無責任な「帝国の不在」こそが、帝国主義時代の権力の行使をそのまま引き継いで同等に罪である。まさに戦後の「平和の質」が問われなければならないのだ。
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私たちはオリンピックを機に、学ぶべきものがたくさんあるのです。メダルの色にばかり目を向けずに。
何度も読み返したい父の文章。
そして、多くの人に伝えたいと思います。
昨年冬から読み続けてきた『帝国の暗闇から』。
気がつけば、春になっていました。