復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第56回 2018年4月9日

こんにちは、岡庭野野花です。

田中眞紀子について、私の記憶で一番鮮明な光景は、2001年の総選挙。小泉内閣誕生に積極的に応援を買って出るなど大きく寄与しました。

A:マスコミも追っかけていましたから、よく覚えています。自身も外相に就任しましたが、外務省を「伏魔殿」と呼ぶなど、外務省・外務官僚の閉鎖的なようすを鋭く表現するなど、さまざまなパフォーマンスは注目の的でした。

B:そして、総裁選を見る限りではとても仲が良いだろうと思っていた小泉総理から、更迭されたんです。

A:その後、秘書給与横領で元秘書より詐欺罪で告発されて、自民党の党員資格を停止され、議員辞職しました。東京地検特捜部の捜査の結果、犯罪性はないとされて、2003年9月30日、嫌疑なしの不起訴処分となっています。

『帝国の暗闇から』のP143、田中眞紀子の「罪」を読んでみると

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田中真紀子元外相は、いかなる罪を犯したか。国から支払われた公設秘書の給与を、3人の秘書で分け取りしたという疑いがある。本当にそうだとしたら、むろん違法行為である。他のやり方も可能性としてあるが、いずれにせよ違法にまぎれもない。紛れもないが、事の本質をアングルを変えて捉えようとしないマスコミ(と多分にその影響を受けた世論)に一言する。

まず、「罪」の概念だ。それは倫理なのか。そうでもあろう。そうであれば、「罪」には程度がない。しかし同時に、他人の場合だけ特に厳しい倫理をいうものだ、という本音での揶揄も成立する。実際には、この罪は定められた費用の使い方に違反したというものであり、そういう罪はそれぞれの場合に応じて軽重が定まっているものである。

 

田中眞紀子元外相のルール違反が、どうでも良いことだとは決していわない。だが、なぜ彼女が追放されねば「ならなかったか」の方が、はるかに重要だ。なぜか?

彼女は、官僚によって政治家が使われているのが政治の前提だということに気がつかないか、あるいは意志して真っ向から挑発的に弾劾しているのか、ともかく従わなかった。

租税収奪を基本に、官僚独裁が形式「三権分立」を無力化しているのは、じつは「業界」の常識であり、それに抗うのは誰より租税収奪のおこぼれで生きている政治家こそが困ることなのである。

だから、野党であるはずの民主党の方が、官僚の手先として熱心に「眞紀子」を非難したのである。

一党独裁とは何だったのか

同じ民衆を踏み付ける政治が、もっと露骨に展開しただけだった。それなりに「あやつられる」ことに慣れている自民党より、官僚にとっても扱いやすい「政治」だったのかもしれない。ともかく、わたしはこのとき、官僚独裁がその完成をすでに終えていることを実感したのである。

 「田中眞紀子」はこの完成済みの官僚独裁に(それは55年体制とも自民党永久政権ともいいかえられる)、真っ向から「違和」として立ちはだかる存在であった。本気で彼女が、外務省の金銭疑惑に徹底的に取り組もうという姿勢に接したとき、あるはずもない「政治」の登場に、官僚たちは戦慄したはずである。

彼女はいかなる「族」にもなろうとしなかった。だとすれば、官僚といえど方法はない。それに噂が本当なら、官僚への上納金の習わしと、本気で取り組もうとした疑惑とは繋がっている。

 逆鱗に触れる彼女の行為は、この意味でも政治を巻き込んでいる。腹を据えて、一度は戦慄した官僚は、「別件逮捕」紛いの手法に頼るしかなかったろう。そうわたしは推測する。しかもまずいことに、立ち小便とは比較にならぬ十分な理由も、彼女の側にないではなかった。かくて、逆鱗に触れた彼女は追放された。

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田中眞紀子さんのくだり、一気に読んでしまいました。

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