第18回 2017年5月15日
こんにちは、岡庭野野花です。
『自己決定力』を、さらに読み進めたいと思います。
P32〜に付箋を貼ったのですが、
ここもぜひともいっしょに読んでいただきたい部分です。
「日本の資本主義は、政治も経済も、身内=縁故優先で動いている。政治家も社長も二世ばかりだ。身内主義では客観的なルールは確立せず、長期的な展望への意欲もない。特権社会、利権社会、ムラ社会からは脱却できない。これを変えなければならない」
A:
まさに! ため息が出るほど、うなづけますね。
バブル崩壊から失われた20年以上の時を超えて、私たちはまったく今も、何にも変わっていない事実を、本書から考えさせられます。
野野花:
父は、この本で、そのために何をするべきと述べているのかを、先を読んで探していましたら、
p36に 「身体から発想する」という小見出しにぶつかりました。
え? 身体? と思ったら、
父も「〝身体〟という用語は唐突に見えるかもしれない」と。読み方は〝しんたい〟あるいは〝からだ〟、どっちでも良くて、からだはからだ。特別な思想コトバではないが、簡単なテーマだと甘く見ちゃこまりますよ、と言っています。
B:
「高度成長期バブル社会において、わたしたちは何よりもからだを忘れていたのだから。からだを忘れていなければ、過労死などというものが存在するわけがない」って、広告代理店D社のニュースも記憶に新しく、興味深いです。
P37〜
「では、〝身体から発想する〟とはどういうことなのか。高名なロケット博士にして哲人・糸川英夫は、最近刊行した『「復活」の超発想』(徳間書店)のなかで、飛行機会社で戦闘機の設計に携わった若き日を、こう回想している。
《戦闘機は、なぜ存在するのか? たしかに戦うためではあるけれど、なによりもまず、戦闘機を操縦するパイロットの命を守るためのものでなければならないのではないか? その「なぜ?」が、自分のなかに確立したときに、一挙に設計がうまれた。
パイロットの命を守るという観点で構想を進めていけば、撃ち落とされるケースは、二つか三つしかない。対策は、そこから立てればいいのだ》
これが、〝からだから考える〟思考の見本である。じつに分かりやすい例だと思うが、そうであるかぎりこの国の〝近代化〟(そしてその凝縮である戦後、ポスト戦後社会)にとって、〝からだから考える〟ことこそ最大のタブーであることが理解されよう。」
B:
つまり大切なのは、「身体によって取り返された身体へ連動していこうということ」。
A:
これが、「〝自己決定力〟というテーマにほかならない」!!
野野花:
真に価値のある、真に豊かな社会をどのように獲得していけばいいのでしょう。
「〝ポスト・バブル〟を、脱・バブルに転換しうる〝いま〟だからこそ、さまざまに迂回しながら自己決定力の手がかりをさぐり求めるべきだろう」と、父は結んでいますが、願いにも聞こえます。
自己決定力。バブル崩壊から20年以上たったいまも私たちは、悲しいかな、自己決定力を持ち合わせていません。
この本、『自己決定力』には、いま改めて私たちが受け止めなければならない父のMessageが、あまりにも多くあるのに驚きます。
次回からは、
バブル期の官民一体の崩壊のツケを、自己決定力がないために大衆がどのようにカバーしなければならなかったのか? を本書から読み解いていきます。