復刻『週刊 岡庭昇』

〜岡庭昇を因数分解する〜

第20回 2017年5月29日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

バブル崩壊以降の経済と政治の関係を復習しているところですが、この状況を父はこんな風に書いています。

 

p53〜 尻ぬぐい=プレ・バブルが始まった

 

 「官製国家には、官製ファシズムが充ち満ちている。たとえば、少し古いが一九九二年八月二十四日の新聞を例にとろう。まさに〝いま〟、この傲慢な国家が何をたくらんでいるかがよく見える。

 この日一日の発表記事をみるだけで、ざっとこれだけの〝官の横暴〟が横行している。まず、〝住宅金融会社を再編〟。

 《金融筋が二十三日明らかにしたところによると、大蔵省と日銀は巨額の不良債権を抱え軒並み経営難に陥っている住宅金融専門会社住専)を今後三年間で現在の農協系一社を除く七社体制から一,二社に再編、統一する方針で、具体的な検討を始めた。》」

 

p54

 「こんな馬鹿げた話があろうか。いいときは短期間に巨額の金を手にしたのが、バブル企業である。株や土地を転がすバブル企業に、無制限な金を貸し付けた金融機関も、同時に濡れ手に粟の利益を手にした。つられて株に手を出した一般大衆は、仕掛けられた罠にひっかけられてささやかな持ち金をまき上げられ、勝手に吊り上げられた地価のため、高い固定資産税を取り上げられるか、一生家をもつことが出来なくなった。あげくのはて、もともとババ抜きゲームであることが明らかだったバブルのババを、われわれの税金から支払わせようというのである。

 こんな傲慢な話が、涼しい顔でまかり通っているのだ。」

 

 

さらに、

p55には、赤字国債や消費税と政治家の発言に書かれています。

 

赤字国債、仕方がない/渡辺外相/税収不足生じれば》

 

《消費税率引き上げ/波紋広がる小沢発言》

 

父のまとめとしての一節、

「民主主義という枠組みを巧妙に使った、官僚(と官僚に使われる政治家たちの)ファシズム。それにしても、何と図々しく、あっけんからんとしたファシストたちだろう。何をいっても、いくらふみつけにしても、不満の声ひとつあげぬ国民大衆を安心してなめきって、彼らは傲慢な顔で独裁を楽しんでいる。依存症社会は徹底的になめられているのである。」

 

改めて復習をして、皆さんはどんな感想を抱かれたでしょうか。

 

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第19回 2017年5月22日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

今回は、バブル崩壊以降の経済と政治の関係を復習してみようと思います。

私よりも若い、たとえば大学生や高校生の皆さんもぜひおつきあいください。

用語解説も記してみました。

 

 

1990年代は、失われた10年と言われて、深刻な長期不況続きました。金融機関がバブル期にイケイケドンドンで進めた過剰融資で、株や土地を買いあさった不動会社や建設会社は倒産したり、借金の返済ができなくなりました。

その結果、回収困難な巨額の「不良債権」が発生して、多くの金融機関が破綻したのです。

不良債権⇒ 企業の破たんや経営悪化などの理由から、回収困難になる可能性が高い貸出金のこと。

 

需要の冷え込み、円高で安価な製品を輸入した結果の物価下落、企業収益の悪化、所得の減少、さらなる需要の冷え込みが続き、景気低迷の悪循環に陥っていきます。これが、「デフレ=スパイラル」です。 

デフレ・スパイラル⇒  デフレによる物価の下落で企業収益が悪化、人員や賃金が削減され、失業の増加、需要の減衰が起こり、さらにデフレが進むという連鎖的な悪循環。物価下落と利益減少が繰り返される状況。

 

1990年代後半には景気対策として公共事業が大規模に展開されましたが、その結果として大量の「赤字国債」が発行されたのです。

政府は、90年度に赤字国債の発行をゼロにすることを公約して、91年度予算で実現。しかしながら、94年度から再び発行され続けているのです。 

赤字国債 国の財政の赤字を補填のために発行される国債財政法上は発行は認められておらず、1年ごとに特例法を制定して発行。

 

当時、巨額の不良債権を抱えて経営難に陥っている住宅金融専門会社住専)に対しても、公的資金を投入したのですが、その額はなんと6850億円でした。愕然としますよね。

 

さて、ではこの状況を、父・岡庭昇は『自己決定力』の中で、どんな風に書いているでしょうか。

 

 

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第18回 2017年5月15日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

『自己決定力』を、さらに読み進めたいと思います。

 

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P32〜に付箋を貼ったのですが、

ここもぜひともいっしょに読んでいただきたい部分です。

 

「日本の資本主義は、政治も経済も、身内=縁故優先で動いている。政治家も社長も二世ばかりだ。身内主義では客観的なルールは確立せず、長期的な展望への意欲もない。特権社会、利権社会、ムラ社会からは脱却できない。これを変えなければならない」

 

 

A:

まさに! ため息が出るほど、うなづけますね。

バブル崩壊から失われた20年以上の時を超えて、私たちはまったく今も、何にも変わっていない事実を、本書から考えさせられます。

 

野野花:

父は、この本で、そのために何をするべきと述べているのかを、先を読んで探していましたら、

p36に 「身体から発想する」という小見出しにぶつかりました。

え? 身体? と思ったら、

父も「〝身体〟という用語は唐突に見えるかもしれない」と。読み方は〝しんたい〟あるいは〝からだ〟、どっちでも良くて、からだはからだ。特別な思想コトバではないが、簡単なテーマだと甘く見ちゃこまりますよ、と言っています。

 

 

B:

「高度成長期バブル社会において、わたしたちは何よりもからだを忘れていたのだから。からだを忘れていなければ、過労死などというものが存在するわけがない」って、広告代理店D社のニュースも記憶に新しく、興味深いです。

 

 

 

P37〜

「では、〝身体から発想する〟とはどういうことなのか。高名なロケット博士にして哲人・糸川英夫は、最近刊行した『「復活」の超発想』(徳間書店)のなかで、飛行機会社で戦闘機の設計に携わった若き日を、こう回想している。

 

《戦闘機は、なぜ存在するのか? たしかに戦うためではあるけれど、なによりもまず、戦闘機を操縦するパイロットの命を守るためのものでなければならないのではないか? その「なぜ?」が、自分のなかに確立したときに、一挙に設計がうまれた。

 パイロットの命を守るという観点で構想を進めていけば、撃ち落とされるケースは、二つか三つしかない。対策は、そこから立てればいいのだ》

 

 これが、〝からだから考える〟思考の見本である。じつに分かりやすい例だと思うが、そうであるかぎりこの国の〝近代化〟(そしてその凝縮である戦後、ポスト戦後社会)にとって、〝からだから考える〟ことこそ最大のタブーであることが理解されよう。」

 

 

B:

つまり大切なのは、「身体によって取り返された身体へ連動していこうということ」。

 

 

A:

これが、「〝自己決定力〟というテーマにほかならない」!!

野野花:

真に価値のある、真に豊かな社会をどのように獲得していけばいいのでしょう。

「〝ポスト・バブル〟を、脱・バブルに転換しうる〝いま〟だからこそ、さまざまに迂回しながら自己決定力の手がかりをさぐり求めるべきだろう」と、父は結んでいますが、願いにも聞こえます。

 

自己決定力。バブル崩壊から20年以上たったいまも私たちは、悲しいかな、自己決定力を持ち合わせていません。

この本、『自己決定力』には、いま改めて私たちが受け止めなければならない父のMessageが、あまりにも多くあるのに驚きます。

 

 

次回からは、

バブル期の官民一体の崩壊のツケを、自己決定力がないために大衆がどのようにカバーしなければならなかったのか? を本書から読み解いていきます。

 

 

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第17回 2017年5月8日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

 

風薫る五月になりました。今咲いているツツジの花が好きで、かわいくてつい近寄って見入ってしまいます。

 

ゴールデンウイークは、『自己決定力』を読んでいました。

この本がが出版されたのは1993年を振り返ってみたいと思います。ちょうど、バブル崩壊後ですよね。

 

A:

日本の株式価値総額について調べると1989年末と比べると株価は、199310月には、59%にまで少しています。デタ上、バブルの崩1990年11月頃に始まったといわれていますが、この時期にはまだ深刻な社会問題となっていなかったようでした。新卒の求人倍率がガクンと低下して、企業績悪化による内定取り消し者が相次ぎ出たのは、1996からでした。

 

B:

そうそう、この時期、日本人はまだまだノー天気だっんです。

当時の状況について『自己決定力』にもしっかり記されていましたね。

 

 

P.30〜 

「ポスト・バブル日本には、コトバだけは〝生活〟があふれている。市民たちはアンケートに答えて、今後は生活重視でいくといい、商品のモデル・チェンジなど、大量生産・大量消費を否定するようになった。そこに切実な実感があることを認めなければならないが、やはりいまひとつハラのすわり方に不安を感じる。

 またまた1970年代はじめのように、プレ・バブルからふたたびのバブルが仕掛けられたとき、それに抵抗するだけの思想として確立されているか、どうか。青森・六ヶ所村の反原発運動家に会ったとき、直接きけば誰も原発のゴミ処理引受けに反対というのに、選挙は誘致派が勝ってしまったと嘆いていた。おなじ人間が企業から命じられて、賛成派に割り当てられた票を出すからである。考えと投票は、まったく別格なのだ。生活に直接結びすく政策と無縁に、税金バラまき土建行政の意のままに企業選挙をしながら、生活重視と称しても無意味である。

 市民の側には、生活重視を誰に向かって、どのように、またいかなる主体性をもって要求するかが、まったく見えていない。」

 

 

A:

失われた20年といわれながら、何も変わっていない日本……

日本だけは大丈夫と誰もが信じて、みんな茹でガエル状態! こんなのんきな茹でガエルでいいの!?

 

B:

2015年、国際通貨基金IMF)は、ドルや円と同様に「特別引出し権(SDR)」に中国・人民元を採用決定したでしょ。つまり、中国元は国際通貨として認めらて、しかもその国際的な重要度は、1位/ドル、2位/ユーロ、3位/元、4位/円、5位ポンドと、元は円よりも上になったという事実を直視していた?

 

 

A:

それから、国債や借入金、政府短期証券を合わせた「国の借金」の残高が、同年3月末時点で10533572億円に達したと発表されたこと!

 

B:

さらに、「S&P」「フィッチレーティングス」などの国際的な格付け会社は、日本国債の信用力の低下傾向を、「今後2~3年で好転させる可能性は低い」として、相次いで格下げを行っていて、中国や韓国以下の評価になったこと!!

 

A、B:

だ〜れも気にしていない。

 

 

野野花:

本当に、みなさんどうして気に留めないのでしょう。不思議でなりません。

アベノミクス新たな有望成出のために、全国に補助金がばらまかれていますが、貧富の差はどんどん大きくなっています。

生活重視を誰に向かって、どのように、いかなる主体性をもって要求するかがまったく見えていない。父の書いた通りの現状です。

 

続く。

 

 

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第16回 2017年4月24日

こんばんは、岡庭野野花です。

(いつもは「こんにちは」ですが、きょうは「こんばんは」的気分です)

 

沖縄で知ったこと、考えたことの続きです。

 

沖縄返還以来、40年間になんと11兆円が投じられてきました。この事実は沖縄に何をもたらしたのでしょうか。沖縄はじわじわと自立心を失って、もはや補助金なしにはやっていけない体質になってしまったのです。

 

あの太平洋戦争末期、1945年のウチナーいくさ=沖縄戦では、日米両軍と民間人らを合わせた死者は約20万人。沖縄県民の4人に1人が亡くなりました。これは、日米最大規模であり、最後の戦闘となりました。

 

振り返るとこの戦争も、民衆が国の暴走を止め切れなかったことが要因。また反対に、今の沖縄の状況は、悲しいかな20万人の犠牲の上に、国からの補助金や基地がないという生活を成り立たなくしてきた……

この事実は、自らが決め、自らが創ることのできない民衆のカタチではないかと思うのです。

 

北朝鮮と米国が闘うことになれば、それも「仕方がない」と受け入れていくのでしょうか?

そんなことを思いながらの沖縄旅行でした。

 

父とこの旅をしていたら、どのようなことを私に教えてくれたのかな、私はどんなことを学べたのかなと、ふと思ってしまいます。

 

補助金は沖縄だけの問題ではありません。

自分たちの税金がどのように使われるのか。誰かが生き延びるためだけにバラまかれる補助金。自ら創る、自ら生きるものとしての社会とは、どのようなものなのでしょうか。

 

次回、また父の著書から読み取っていきたいです。

 

 

 

 

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第15回 2017年4月17日

 

 

こんにちは、岡庭野野花です。

 

 

先週末、沖縄へ行ってきました。ちょうど北朝鮮とアメリカの緊張が高まるタイミングでした。でも、米軍基地のある沖縄はというと、多くの観光客で賑わっていて、緊迫感などをまったく感じませんでした。

 

きょうは、沖縄への旅で知った事実をぜひ皆さんと共有したいと思います。

 

まず、米軍基地は、沖縄の経済的基盤確立の上で必要なものだと痛感しました。基地は借地ですので莫大な地代が入り、沖縄全土で4万人の地主が、毎年総額900億円の地代を国から受け取っているのです。その地代を活用して、マンションやリゾート開発を行なってきました。今、沖縄はバブルだと感じます。

 

思いやり予算という莫大な公共投資沖縄返還から累計で約11兆円)があって、観光立国という名の地域振興が行われ、それは地元の土地持ちと東京のデベロッパーが手がけています。

 

沖縄は、一人当たり県民所得最下位 (東京都の半分以下)失業率も日本一。数字的には全国で最も貧しい県です。でも一方で、振興策で大企業、特に建設業は潤っていて、年収1000万以上の割合が全国で9位という事実!

所得格差を測る指標の「ジニ係数」が最下位グループで、つまり、日本一貧富の差が大きい県なのです。

 

私は、この事実に大変驚きました。

 

沖縄の事実に興味を持ちつつ……

改めて『父の自己決定力』を読み返してみました。

父はTBSに在籍中にテレビドキュメンタリストとして、さまざまなドキュメンタリー番組を制作しました。現場では常にとても苦労をしていたようで、その様子が伝わってくる部分があります。

 

P.17 の「依存症社会症候群」より(以下、抜粋)

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汗水たらして広報社会に新鮮な情報、つまり事実をもたらして、さて返ってくる反応が、いつも次のようなパターンではいいかげんいやにもなる。どんな反応か。〝なるほど、岡庭のドキュメンタリは、隠された事実を曝きだして衝撃的であった。しかし不満が残る。ではどうすればいいか、それをあなたはちっとも教えてくれないではないか〟というのである。

 

わたしはほとんど怒鳴り返したい気分だ。情報はきちんと出した。日本の現実が、いかにひどい状態か分かったはずだ。その先、この現実のなかでどう生きるのか、どう日本を変えようとするのか、それはあなたが考えるべきことだろう。自分の生き方を決めてくれと、テレビごときにねだる発想をまずやめたまえ。乱暴にいってしまえば、そうなる。

 

+++

 

この父のことばが、今の社会を鋭く刺しているように思えてなりません。

 

 

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(つづく)

第14回 2017年4月3日

こんにちは、岡庭野野花です。

 

 

ところで私たちは、「バブル崩壊」から何を学んだのでしょうか。

失われた20年と言われて今に至りますが、

そう言われ続けた間も、バブル時代の浮かれ気分や派手さがほんの少し減った程度だし、オリンピックに向かっている今は、東京では建築ラッシュ。

東京の真ん中で私たちは、不況の悲壮感を感じずに暮らしています。

 

読み始めた『自己決定力 ———人まかせの「生活大国」はない』(徳間書店)の冒頭をぜひ一緒に読んでください。

 

 

P3)

 バブル崩壊だといっても、市民社会は結構みんなぬくぬくと暮らしている。責任をとらされてやめた社長も、多額の退職金を手にした。厳しい不況といっても、だいたい三割ほどの減収といったところだろう。

 あれだけの無茶なバクチ・ゲームをして、なぜこれですんでいるかといえば、山谷、釜ヶ崎などの寄せ場に、すべての尻ぬぐいが押しつけられたからである。大企業は負担を下請けに押しつけ、下請けは孫請けに押しつけ、そしてすべては寄せ場に押しつけられる。アメリカでは先住民、黒人や、後発移民にターゲットが強いられている。日本の場合は労働市場における、あらゆる意味での差別構造が、日常的にゲットー役を担わされる。しかも前者と異なり、後者は包みかくされ、ますます見えない存在にされている。

 

A:

バブル崩壊以降、日本の格差は紛れもなく拡大しています。

年収格差、雇用格差、経済格差、教育格差、地域格差、労働環境の格差、団塊世代の格差、企業と家庭との格差……

 

B:

はい。OECDが発表したデータによると、日本の貧困率15.3%も!

世界の先進国のなかでも、貧困率No.5です。24ヵ国の平均10.4%を大きく上回っているこの数字に愕然とします。

ドイツやフランスなどヨーロッパの有名な国の多くは、軒並み10%以下です。が、アメリカは日本を上回る17.1%!

 

A:

日本にとって大問題なのは、この20年間で貧困率が急上昇していることです。ひと昔前まで日本は、「一億総中流」とか言われて、貧富の差が一番少ない国でした。それがわずか10年で、こんなにも格差が拡大。

このことに私たちはもっと目を向けるべきではなのです。

 

 

野野花:

バブル崩壊後に父は、

 

こんな残酷なシステムは、もうここらでやめようではないか。ポスト・バブルがたまたまプレ・バブルでしかなく、どこまでいっても飢餓の強制の上の繁栄でしか持てないなら、寄せ場(注・日雇い労働の求人業者と求職者が多数集まる場所)は、いつまでも寄せ場はいつまでも寄せ場でありつづけるだろう。あらしめられる、だろう。

 

と、書いています。

 

バブル崩壊後、格差社会は広がっています。

父は、この残酷なシステムから脱却するために、この本の中で「自己決定力をつけかた」を提唱しています。

 

次回から、自己決定力とはどのようなことを指すのかを探ります。

 

東京は、桜が咲いています。

 

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