第27回 2017年7月24日
こんにちは、岡庭野野花です。
最近少しずつですが、安倍内閣の支持率がじりじりと下がっているようです。
6月調査では、
【支持する37.9%】 【支持しない41.6%】 【わからない・答えない20.5%】
7月になると、
【支持する29.2%】 【支持しない54.5%】 【わからない・答えない16.3%】
(以上、テレビ朝日の調査より)
とはいっても、政党支持率においては他の政党の支持率は上がりませんね。
先日テレビを観ていましたら、こんなことが話題になっていました。
自民党の支持基盤として2012年12月に政権に返り咲いた第2次以降の年代別支持率(平均)をみると、20代が最も高くなっているそうです。30代以降も若いほど高く、60代にかけて下がる「右肩下がり型」になっているというのです。
埼玉大学社会調査研究センター長の松本正生教授(政治意識論がご専門)は、「先が見えない不安のなかで、今の状況がこのまま続いてほしいという現状肯定感がある」と指摘していました。失業率が下がるなど、「今の生活の安定が支持につながりやすい」というのです。
第2次安倍内閣は当初、「アベノミクス」で経済重視を前面に打ち出して、支持を広げていきました。そしてその後、安保法制で支持を下げることもありましたが、過去の政権のような急落はありませんでした。
安倍内閣を「支持する」人に、その理由を選択肢の中から選んでもらうと、「他よりよさそう」が半数を占めています。「政策」の2割を引き離して、最も多くなっているという現実があります。そして、内閣を支持する理由では、「他よりよさそうだ」をあげた人は、共謀罪法案について、49%が賛成、29%が反対となっています。
有権者は、「他よりよさそう」という意識が広がるあまり、「中身」の評価が甘くなってはいないでしょうか。異論に耳を傾けず、幅広く納得を求めない姿勢を許すことにつながらいでしょうか。
東京大学先端科学技術研究センターの牧原出教授(政治学がご専門)は、「どんな政権も暴走するリスクが常にある」として、警鐘を鳴らしています。
「国民は気を抜いてはいけない。破局的結末を招かないよう、しっかりチェックする必要がある」と。
国家戦略特区 地方創生、岩盤規制改革 耳あたりのいい言葉だけの税金ばらまきではなく、本来の自分たちの国のことを自分事としてとらえなければ……。
今への警鐘が、父が書いた『自己決定力』で綴られているのはないでしょうか。
再度、本著のサブタイトルの意味
『人まかせの 「生活大国」 はない』という言葉が、心に刺さります。
資料
http://blog.goo.ne.jp/madakate00/e/f54e547f938c18b93b0368cf6b72c3de
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/201707/index.html
第26回 2017年7月17日
こんにちは、岡庭野野花です。
「暴対法」と「共謀罪」について、続けさせていただきます。
「暴対法」の場合の暴力団と同じように、「共謀罪」も警察が一方的に認定すれば引っ張れるということになるのです。
そんな共謀罪を「オリンピック開催国の責務だ」とのレトリックを使って、通してしまいました。加計学園のごたごたとともにきちんと討議をしないまま、数の論理で動かしてしまったのです。
「共謀罪」法案の採決強行後、早いもので1カ月が過ぎました。
今、メディアでは、加計学園をめぐって、その本質ではない話ばかりになってきています。
そんななか、先週は、死刑囚2人の死刑執行がありました。うち1人については、再審請求中、つまり裁判のやり直しを求めているところでした。再審請求中に死刑が執行されるのはとても珍しいことのようです。
第2次安倍内閣発足以降、昨年11月以降、11回目の死刑執行で、合わせて19人になります。そして、第1次安倍内閣と合わせると、なんと29人も。
少し脱線してしまいましたが、「暴対法」に戻ります。
当時、「暴対法」が通ったのちについて父はこのように書いています。
* **
問題提起③ 金丸・竹下は〝悪〟か の章です。
P107
1992年12月8日現在、金丸が沈没してのちの竹下攻撃は、ほとんど〝暴力団とのつき合い〟一本にしぼられた感がある。これは、はなはだ危険な態度である。むろんそのウラに、官僚操作の発表ジャーナリズムの仕掛けがある。コトバに無神経なマスコミは、無雑作に暴力団という官製用語をまきちらしている。つまりはヤクザの親分に物を頼んだのが、〝総理の犯罪〟の唯一、究極の結論だというのである。こんなおかしな話があるだろうか。
さらに、P110を読みます。
金丸・竹下に対する世論の非難は民主主義の成熟でも何でもない、と私は断言しておく。それどころか、観客民主主義のもっとも悪しき面が露呈してると思う。権力に対する抗議の声までもが、権力によって操られているという、みごとなまでの意志の欠如。依存社会症候群。
民衆は正義派のつもりで抗議の声を上げているが、つまりは管理者会に痛めつけられた身体が、本能的にウサ晴らしをしているにすぎない。しかも、仕掛けられたガス抜きぬに踊らされているばかりか、じつは管理社会を強いている当時の官僚権力の思うツボにはまっている。集中豪雨・一過性の金丸・竹下タタキに無邪気に踊らされるのではなく、その〝国家的パフォーマンス〟の本質を、じっくりと見定めなければなるまい。
* **
そもそもこの「共謀罪」は、小泉政権時代に、思想や内心を処罰するものとして世論の激しい批判を浴び、廃案に追い込まれていますね。1回ではなく、3回もです。それを、「テロ等準備罪」と名前を変えて、オリンピック開催国の責務だとしてリベンジに出たものなのです。国会で議論も充分されないまま、中間報告として禁じ手を使い、数の論理で強引に通してしまったのです。
これこそ民主主義の崩壊です。でも、実際のところメディアもしつこく喰い食ついいないのが現状。
また、選挙民である私たちも、どこかメディアの向こうの他人事になっているのではないかと、つくづく思うこの頃です。
それにしても、毎日暑いですね。
お昼寝も大切だと思います。
第25回 2017年7月10日
こんにちは、岡庭野野花です。
先週から考えはじめているのですが、「暴力団」とは、いったい何なのでしょうか。
『自己決定力』をもう一度開いて、暴力団についての文章を追ってみます。
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P95〜96
すべてのヤクザ(任侠)は、自=称である。
自分からそうだと名乗っているから、ヤクザ(任侠、渡世人、極道)なのだ。
あたりまえではないか、だって? それが現在の日本では、ちっともあたありまえではないのだ。1992年春、暴対法(暴力団新法)というものが登場した。これは、行為を裁く法律ではないという意味で、際だって特異な法律である。行為を裁くのでなければ、いったい何を裁くのか。存在を裁こうというのである。その意味では、まったく民主主義社会の法治概念にそぐわない。
戦後保守一党独裁政権は、当然のことながら左翼、新左翼を弾圧してきたが、法的な形式上は個々の行為を裁いている。〝過激派〟という巧みな@称を作り上げ、マスコミの協力で流布させることで、元々政治的な立場が異なるだけなのに、存在そのものを〝悪〟とイメージづけるのに成功した。それにしても〝過激派だから逮捕する〟という〝形式〟は、かつて存在しなかった。なんらかの行為が対象であった。
ところが暴対法は、〝おまえは暴力団の構成員だ。だから犯罪者だ〟と、いわば予断や差別を法的形式として実効させようというのである。
***
みなさん、私は思うのです。
今回の「共謀罪」法案は、まさにこの「暴対法」の流れに近いものではないかと。これまでの「未遂罪」や「予備罪」とは、まるで異なるようです。犯罪の実行に着手したけれど、結果的に遂げられなかったものが「未遂罪」。計画した殺人に使用する目的で凶器を購入することなどが「予備罪」。「話し合って合意したとみなされる段階」で裁くことが「共謀罪」となります。
当時の「暴対法」と同様、集まっているだけで話し合って合意したとみなされる可能性がでることになるのです。
気分転換にときどき散歩をしますが、かわいいお花に出会うと癒されます。
第24回 2017年7月3日
こんにちは、岡庭野野花です。
金丸に竹下、そして東京佐川急便に稲川会の名がマスコミを賑わせ、1992年3月、「暴力団対策法」(略して、「暴対法」)が施行されました。
正式名称は、
「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」(平成3年法律第77号)。
私たち市民の生活や経済活動を侵食する暴力団の封じ込めるのが目的です。
同時に、「暴力追放運動推進センタ―」、いわゆる「暴追センタ―」なるものが都道府県に設置されはじめます。こんなポスターを見かけませんか?
ここで少し、暴力団関連の法律についてもおさらいしておきましょう。
構成員の犯罪前歴者割合が政令で定める比率以上という規定に該当する暴力団を、公安委員会が「指定暴力団」または「指定暴力団連合」と指定します。
指定された暴力団の組員らは、寄付金や物品購入の強要などを、暴力的要求行為として禁止されるのです。
これ以降ですが、さらに証券スキャンダルなどで暴力団の「経済ヤクザ化」が表面化してくると、「損失補填(ほてん)」や不当な株の買い取りの要求、競売妨害などを禁止するよう一部改正されて、1993年8月に施行となりました。
2012年10月には、不当要求行為を繰り返す指定暴力団を「特定危険指定暴力団」、危険な対立抗争事件を繰り返す指定暴力団を「特定抗争指定暴力団」に指定して、警戒区域を定めるなどの改正がありました。
このような流れを受けて、2010年以降、暴力団関係者は8万人を割るようになって、減少の一路をたどります。
2015年の時点では、4万6900人との数字を目にしました。
というところで、また次回。来週は、本の本題に戻ります。
暑い日が続いていますので、みなさまどうぞご自愛ください。
第23回 2017年6月26日
こんにちは、岡庭野野花です。
「森友学園」への国有地売却問題や「加計学園」の獣医学部新設問題の、ある意味、スキャンダル的な(テレビショー的な)疑惑の裏で、「共謀罪」法案の採決が強行されてしまいました。
一連のこのニュースに目を離せない日々が続いて、ブログを書くのが遅れてしまいました。この状況を、父ならどんな風に取材して、語り、書き、斬っていくのだろう? と想像しつつ『自己決定力』に目をやると、問題提起の項目に今回と同じような状況が書かれていることに、ハッとしました。
「問題提起③」
金丸・竹下は〝悪〟か
政治家タタキの背景に浮上する警察国家
この章を、今の現状と照らし合わせて読み進めてみたいと思います。
まずは、金丸信・竹下登が世間を騒がせていた時代の政治状況を、今一度おさらいをしましょう。若い世代のみなさんは、ピンと来ない名前かもしれませんが、名前を聞くだけで「コンチクショウ!(金竹小)」と、眉間にシワが入ってしまう人も多いことでしょう。(金=金丸信、竹=竹下登、小=小沢一郎)
時代は、1985年。昭和60年までたぐりよせます。アメリカではロナルド・レーガンが2期目に突入、ソ連ではゴルバチョフが書記長に就任した年。日本はと言えば、第二期中曽根内閣で、外務大臣が安倍晋太郎でした。
さて、本題です。
竹下登と金丸信は、「創世会」を創設。自民党最大派閥の田中派からクーデータ的に飛び出したんです。2月末には、田中角栄元首相が脳梗塞で倒れます。
1987年、「創世会」は「経世会」として正式に独立。11月に竹下が総理になりますが、1989年の「消費税導入」と「リクルート事件」により、内閣総辞職。
この裏を、金丸が取り仕切っていたようですが、中曽根康弘の後継(自民党の総裁指名)をめぐって、安倍晋太郎、宮沢喜一と争っていた竹下が、右翼団体の日本皇民党より“ほめ殺し”を受けたことに端を発する 「皇民党事件」が世間を騒がせました。そして1992年、東京佐川急便事件が発覚。金丸は衆議院議員を辞職したのです。
数千億円の資金が暴力団や右翼団体に、一部は闇献金として政治家に流れたとされて、東京佐川急便の渡辺広康社長らが特別背任容疑で逮捕されます。
この後、金丸 → 東京佐川急便 → 広域暴力団の稲川会 → 皇民党というルートで、佐川急便より暴力団、右翼団体に資金が流れました。以降、稲川会より東京佐川急便に対して、さまざまな理由で資金援助の要請がされるようになったのです。
ふう。書いているだけで呼吸が浅くなってきました。
ちょっとここで深呼吸します。
第22回 2017年6月12日
こんにちは、岡庭野野花です。
『自己決定力』には、どうすれば現状を脱して変われるのかが、
P60に綴られています。
「問題はどこにあるのか。
とりあえずははっきりしている。この悪循環の流れを逆にして、実態としての経済、実態としての富を持つことである。つまり分配率を高め、国内市場を形成し、企業ではなく人間に富が集積する構造に逆転してゆく。つまり、自前の資本主義の育成である。そのことを措いて、危機ののりこえなどはありえないのである。」
この一節には思わず、アンダーラインを引いてしまいました。
さらに読み進むと、
p68 「強盗独占資本主義」との小見出しが目を惹きます。
父は、戦後の保守政権を「強盗独占資本主義」と称しているのです。
「戦後、保守政権は学問上のケインズ主義から学んだのではなく、復興特需と戦時賠償を通じて、経験的にこの〝強奪して分配する〟方程式を編み出した。租税は国家の強盗行為とみなす立場からすれば、さしずめ強盗独占資本主義の成立ということになる。」
そして、
「〝独占=分配〟による独裁は、経済構造だけではない。経済とともに、労働・教育・情報をつらぬく本質として、いわば三位一体をなしている。」
と綴っています。
「こうした〝独占=分配〟による独裁という権力構造は、確個として不変である。私たちが自前の社会に生きたいと望むなら、この構造をさかさまに置き換えなければならない。いわば矢印を逆に置き換えること。
すべてを、いったん個(からだ)に集中させ、そこから再分配する。そこにしか、自己決定力をもつ自前の社会の可能性はない。」
少しわかりにくいかもしれません。
どう生きていくかを考えるヒントを得るためには、もっとリアルに分析しなくては、前に進めないように思います。
次回からは、この具体性について本書から読み取っていきたいと思います。
P.S.今度の日曜日は、父の日ですね。
第21回 2017年6月5日
こんにちは、岡庭野野花です。
さらに、復習を続けたいと思います。
失われた10年と言われたその後、2001年に小泉政権(~2006年)が発足しました。グローバル化とIT革命の波がやってきました。日本人は、私たちの労働賃金の1/10程度で働く発展途上国の労働者との競争を余儀なくされて、小泉内閣は「改革なくして成長なし」をスローガンに構造改革を本格化させました。
格差の元凶とまで言われた「労働者派遣法の改正」を政策に盛り込み、企業にとって使い勝手のいい新たな雇用スタイルが誕生したのです。海外に生産拠点を移しつつあった日本企業の、日本国内における産業の空洞化に歯止めを掛けたというわけですよね、Aさん。
A:
はい。そしてこの構造改革が、所得格差の拡大を産み出したことは間違いなし!
2002年2月以来、景気拡大期が続いて、2006年11月には戦後最長といわれた「いざなぎ景気」を抜きました。実質成長率は平均2%弱と低くて、「実感なき景気回復」と言われたの、思い出します。2008年には世界金融危機が起こって、再び不況に戻ったんです。
B:
この辺からはもう昨日のことみたいです。1990年代は、日本のバブル崩壊や欧米の経済低迷で日・米・欧州共に金融緩和が勧められて、1997年頃からのアジア通貨危機や、1998年に世界最大のヘッジファンド=LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント)が破綻でしょ。新興国やヘッジファンドへの投資マネーが一気に引き上げられて……。
A:
そうした世界の金融緩和でだぶついていた資金が、注目度の高まっていたIT関連企業に集中。そこで起こったのが「IT バブル」です。アメリカでは、自動車(GM)や家電(GE)などの企業が死に絶えて、産業構造の転換が急務だった時代で、IT~コンピュータやインターネットの関連企業がその有力候補となったんですよね。
B:
そして、9.11。世界はまた不況になって、株価は低迷し続けて……。だんだん現在に近付いてきました。
A:
時は、アベノミクス。規制緩和によって株価は上がり、成長戦略で補助金がばらまかれている今! 一方で、世界は貧富の差が広がっていて、保護主義が台頭し始めています。トランプの誕生は、忘れられた底辺の人々によるもので、ヨーロッパもまた、忘れられた人々の怒りにより保護主義や極右のチカラが台頭し始めているではないですか。
野野花:
でも、こうして声が上がるのはある意味、バランスだと言えるのではないでしょうか?
先進国30ヶ国中、貧困率が4番目に高い国となっている日本人は、こうした声を上げることもなく、テレビでは森友問題が面白おかしく報道されています。
A、B:
ああ、自立していない、お任せ日本人!
野野花:
でもね、父は、「自立していない、お任せ日本人」に、可能性を見出そうとしていました。
(続く)